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第37話 溢れ出した欲望⑦【理央side】
毎年この季節になると、理央の頭の中には一匹の蝉が住み着く。
ジリジリとうるさいそいつは、まるであの日を忘れるなとでも言うように度々理央の頭の中で鳴き出す。
そして生活しているうちに、それが幻聴なのか現実なのか、だんだん分からなくなってくるのだ。
夜。いつも通り咲人が部屋に来た。しばらく勉強をしていると、疲れた咲人は伸びをする。
すると部屋着の襟元に少し空間ができて、そこから白く柔らかい布の結び目が顔を出した。
何故かわからないけれど、綺麗に結ばれたその部分がやけに気になった。だから自分は、そこへ手を伸ばした。
「──お、理央!」
「……ごめん、どうかした?」
夢から覚めた時のように、意識が覚醒した。目の前には、心配そうな顔でこちらを見つめている咲人がいる。理央は不自然に上がっていた自分の手を下ろす。
「いや……理央の方こそ、俺になんか言おうとしてたんじゃないのか?」
自分が?咲人に何か言おうとしてたんだろうか。思い出そうとするも、直前まで考えていたことをまったく思い出せない。ふと、咲人に手を握られた。
「理央。お前最近、ぼーっとしてることが多いから心配なんだけど」
もしかして夏バテじゃないのか、と咲人は言う。だがこれは違う。未だ消えない、過去のトラウマから来るものだ。
でも最近、気づくと自分は咲人の首元ばかり見ている。一度だけ見た、あの包帯の下。そこにあるのは、幼い自分が祈りを込めて付けた痣だ。今も色濃く残っていたそれは、きっと一生消えない。思い出すだけで、どくんと心臓が跳ねる。
理央は自然と、咲人の唇に口付けた。咲人は驚いていたが、何度か唇を食むと、理央の舌を受け入れてくれた。
「ん……したいのか?」
「……うん」
咲人の腕が、自分の首元に回る。咲人の体温を感じている時だけは、不思議と頭の中のそいつはどこかへ飛んでいく。
自分はもう二度と、この体温を手放すことはできないのだろう。
キスをして少しだけ触れ合った後。
咲人に、夏休みはどこに行きたいかと聞かれた。月ノ宮学園は明日で終業式を迎え、夏休みに入るのだ。
「どこか、二人きりになれるところがいいな。咲人は?」
「理央、あの日行けなかった……夏祭りに行かないか?」
咲人がそう言った瞬間、幼い頃、咲人の部屋で約束した時の記憶が蘇ってきた。
「……と言っても、あそこじゃなくてこの辺の祭りなんだけどさ」
咲人と行けなかった夏祭り。四年越しでようやく、あの日の約束が果たせるのだ。
「いいよ、一緒に行こっか」
夏休みに入ってから一番最初の土曜日。
理央は咲人と学校近くにある神社の夏祭りに来ていた。
この辺では結構大きめの祭りだからか、境内はそれなりに賑わっていた。
大半が既に帰省しているせいか、同じ学校の生徒はあまり見かけない。
「理央、はぐれんなよ?」
前を歩く咲人に突然、手を握られた。はぐれるならどちらかというと、咲人の方だと思う。でもそれを言ったら怒られそうだから、言わない。
理央は咲人に握られた手を見つめる。
幼い頃、咲人はこうしてよく理央の手を引いて前を歩いてくれていた。
──今も昔も。僕たちは変わらないね。
そうやって理央が咲人のことを考えている間、当の本人はたくさんの出店に目移りしているらしい。
「じゃがバターも食べたいし、いちご飴もいいな……あ、理央はりんご飴なら食べれそう?」
「たぶん、咲人と一緒なら」
「よく食べてるとこ見かけるけど、りんごが好きなのか?」
「好きかはわからないけど……ただ離れてる間、少しでも咲人を側に感じたくて。気づいたらよく食べてた」
そう告げた後、特に返事がもらえなかったので、隣にいる咲人を見た。するとすぐに顔を逸らされてしまう。
「……あっち、売ってたから買いに行くか」
そう言うと、咲人は理央の手を引いて歩き出す。
後ろから見える耳元がほんのりと赤く染まっていて、抱きしめたくなる気持ちを我慢した。
「理央、射的があるぞ!」
興味があるのか、子どものようにはしゃぐ咲人。なるほど。これなら自分の得意分野だ。並んでいる景品を見つめる咲人に話しかける。
「なにかある?欲しいの」
「んー……あ、あのぬいぐるみ」
咲人の視線の先には、小さな黒猫のぬいぐるみがあった。
「なんか昔飼ってたヤツに似てるな、と思って」
「……くろすけ」
「へ?なんで知ってるんだ?」
「いや……咲人のことだから、そう名付けるのかなって」
店のおじさんに話しかけて、理央は射的銃を構えた。素早く放たれた弾は狙い通りぬいぐるみにあたり、ぽすんと後ろに落ちる。咲人に景品を手渡すと、嬉しそうに受け取ってくれた。
それから二人で境内を一周した後、最後に見晴らしの良い場所に出た。神社は小高い丘の上にあるので、目の前には綺麗な夜景が広がっている。
「はー、満喫したー!楽しかったな、理央と来るの夢だったから」
「ありがとう。僕も楽しかった」
「……ほんとか?それなら良かった。最近お前、元気なかったからさ」
ああ、そうか。咲人は心配して自分のことを連れ出してくれたのか。
咲人の優しさに、理央の心が包まれる。
「……理央、聞いてくれるか?」
咲人は体ごと、理央の方に振り向いた。その表情はどこか寂しげだ。
「俺さ……もしかしたら理央はもう、自分の血なんていらないんじゃないかって。そう思ってたんだ」
咲人からの突然の言葉に、理央は息を詰める。
「あの体育の後、それが確信に変わったよ。やっぱり理央にはもう……血をくれてる人がいるんだな」
違う。違うよ、咲人。でも本当のことを、上手く言葉にできない。
「でもいいんだ、もう。理央が誰の血を吸ってても……だって、理央が俺の特別であることには、変わりないから」
そう言って咲人は、今にも泣き出してしまいそうな顔で笑う。咲人、君は。
「あんなに痛くても苦しくても……咲人は僕にまた、血を吸って欲しかったの?」
「……そうだよ、本当は俺、理央が他の人の血吸ってるの、嫌だよ。俺の血だけ吸ってほしいよ……っ」
涙目でそう訴えてくる咲人。それは、呼吸を忘れてしまうほどの衝撃だった。
理央は咲人の体を力強く抱きしめる。汗ばんだその体に、情欲が唆られる。
「……理央?」
──ああ、だめだ。やっぱり僕は……今すぐ君のすべてが欲しい。
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