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第42話 重ならない思い④

 十月半ば。咲人のもとには、中間考査の結果が返されていた。 「今回範囲広くて、結構疲れたね。僕、少し順位落ちちゃった」 「俺も。綾瀬は平気そう?」 「俺は──ギリギリ、かな。だいぶ落ちてた」 「ま、さすがに範囲広すぎたし、今回難しかったもんな。そんな落ち込まなくても平気だよ」 「そうそう。間違えたところ、一緒に解いてみない?」 「うん、二人ともありがと」  咲人の成績は夏休み前に比べ、下がっていた。しかも、かなりだ。  最近は北見のアラームで朝起きることもできず、理央と同じ時間に登校することが増えてきていた。  ──緩み、すぎてた。ちゃんとしないと。  自分は周りとは違うのだ。周囲よりも頑張って頑張って、やっとここに立っている。咲人は覚悟を決めて、理央に相談することにした。  昼休み。咲人は広げたランチセットには手をつけず、佇んでいた。  理央の顔を見たら、ここへ来る前にしてきた決心が揺らいだ。それでも、咲人は話さなければならない。 「どうしたの咲人、食欲ない?」  理央が心配して、咲人の顔を覗き込む。 「……俺、テストの点数すごい下がってた」 「そっか。それは残念だったね」  慰めるように、理央が咲人の頭を撫でる。その心地よさに流される前に、言わなければならない。 「……理央、ごめん。俺しばらく理央の部屋行くの、やめるよ」  そう告げた瞬間、理央の目がすっと細められた。二人の間に流れていた空気が、一気に硬くなる。 「どうして?」 「だって理央といたら俺……勉強できなくなっちゃう。こんなことが続いたら、留年になるかもしれないし」  とても、不安だった。ここで切り替えなければ、自分がどんどんだめになっていく気がしたのだ。そんな咲人を見て、理央は不思議そうな顔をして答えた。 「それはないよ。もしそうなっても、僕が咲人の担任に言えばどうとでもなるから」 「へ……」  理央は当然のように、そう答えた。その瞳は至って普通で、冗談を言っているようには見えない。 「咲人は何も心配いらないよ。だから今まで通り、今日の夜もたくさんしよう?」  理央は微笑みながら、そう言った。固まったままの咲人の頬をすり、と愛おしげに撫でる。理央から目を逸らすことは、やっぱりできなかった。    緩やかに、気づかないうちに。綺麗に合わさっていたはずの歯車は、少しずつずれていたのかもしれない。  肌寒さを感じる季節になった。冬服に身を包んだ生徒たちの中には、マフラーを巻いて登校している生徒も増えてきている。咲人も首元にマフラーを巻いて、身を縮めながら学園内を歩いていた。  結局今も変わらず、理央と二人で過ごす夜の時間は続いている。  咲人はなるべく早めに起きたり、無理のない程度で自分の時間を増やしていた。けれど今日は机で二度寝をしてしまい、寝坊。何度も繰り返すこの失敗に、我ながら呆れる。  ──久々に理央と登校できるかな。  そう思いながら校舎へと続く道を歩いていると、何やら下弦寮の前に人だかりができていた。騒ぎの中心には、理央がいた。それと以前二人でいるところを見かけた、特進クラスの男子生徒。 「どうして昨日の会合に来てくれなかったの?招待状は渡したのに!」 「知らないよ、そんなもの」  男子生徒の方が、理央に凄く怒っているみたいだった。咲人は人だかりの中に見知った頭を見つけ、駆け寄る。 「なあ、長谷川。何があったの?」 「いや。よくわからんが、あっちが勝手に勘違いしてんだろ」  あっち、と長谷川が指差したのは、逆上している男子生徒。 「あの子の家も有名なの?」 「親が神崎の関係者らしい。辿ってけばそんなやつ、この学園には山ほどいるけどな」 「じゃああいつは、理央の友達じゃないのか」 「友達?神崎がそんな風に思ってるわけねーだろ」  そうなのか。だから理央はあの生徒のことを、面倒だと言っていたのか。  いつの間に騒ぎはおさまったのか、人だかりが無くなっていく。理央の元に行こうとしたところで、長谷川に呼び止められた。 「お前それ……神崎にやられてんだろ」  そう言って長谷川は、咲人の手首を指差す。そこには昨日理央に付けられた、吸血痕があった。急いで出てきたため、絆創膏を貼るのを忘れていたのだ。慌てて隠すも、隣にいる長谷川は呆れたような顔で咲人のことを見ている。 「今更隠しても意味ねーよ。別に言いふらすつもりもねーけどさ。あいつのお前への執着って、ちょっと異常だろ」 「異常?」 「どう見てもそれ、マーキング。自分は吸血種とヤってますって言ってるようなもんだけど」 「……っ」 「お前みたいな純粋そうな顔してる奴に、そんな噛み跡残してさ……ほんと、趣味わりーよアイツ」 「理央はそんなんじゃない!これ以上理央のこと悪く言うなら、その髪の毛引っこ抜くぞ」 「なんじゃそりゃ。お前が怒っても全然怖くねーんだよな」  理央はただ、不安なんだ。きっと、自分が上手く理央のことを安心させてあげれないから。満たしてあげれていないから。  予鈴が鳴り、咲人は慌てて校舎に走り出す。人が少なくなったその場所から、理央は咲人のことをじっと見つめていた。    その日の昼休み。朝の騒動で疲れたのか、今日は理央の口数が少ない。机に頭を伏せながら、咲人がご飯を食べる様子をじっと見ている。  なんとなく居た堪れない空気の中で、咲人はふと先ほど長谷川に言われたことを思い出した。 「なあ理央。この噛み跡、やっぱり見えないところにするのじゃだめか?」 「だめだよ。見えるとこじゃなきゃ意味ない」  即答だった。咲人はすぐに諦めて、お弁当の残りをつつく。今日は機嫌が悪そうなので、夜は沢山甘やかしてやるか。そんなことを思っていると、理央が口を開いた。 「急にどうしたの。誰かに何か、言われた?」 「いや、なんとなくそう思っただけで──」 「……ああ、長谷川くんか」  理央はそう言うと、静かに席を立つ。嫌な予感が、した。咲人は理央の腕を掴み、教室から出て行こうとするのを止める。 「違う、長谷川は悪くない!」  「うん、知ってるよ。いつも咲人から話しかけてるもんね」  冷たい視線を、向けられる。 「っ、そうだよ、だから長谷川は悪くないんだ。理央、さっきの言葉は忘れてほしい」 「ねえ、どうしてそんな必死に彼を庇うの?」  だって、理央は。きっとまた『神崎』の名前を使って、今度こそ長谷川を退学させる気なんだ。咲人がシャツを掴んだまま黙っていると、理央が短く息を吐いた。 「僕は優しくしたいのに……君がそうさせてくれないんだ」 「ごめん……理央。なあ、罰なら俺が受けるから」 「咲人はわかってないから、どうせまた同じことするんでしょ?」 「しない、もう長谷川に話しかけるの、やめるから」  理央に信じて欲しくて、咲人は必死でその瞳に縋る。 「じゃあもう二度と彼に近づかないって、証明できる?」 「したい……けど、どうすれば」 「来て」  理央はそう言うと咲人の手を掴み、廊下へ出た。

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