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第48話 僕の心臓は君の血で染まっている②
目を覚ますとそこは、保健室だった。
消毒液の匂いが充満する室内で、その中にひとつ。自分がこの世界で、一番落ち着く匂いが混じっているのを感じる。
咲人のすぐ側には、不安げにこちらを見つめる理央の姿があった。
「……ちゃんと、起きれたんだ」
「っ咲人……ごめん、僕のせいだ」
ぎゅうぎゅうと力強く手を握られて、若干痛い。
でも痛いくらいに、理央の思いが伝わってくる。
「君が倒れたって聞いて……息が、止まるかと」
「わかったか?あの時の俺の気持ちが」
以前理央が倒れた時のことを、暗に示す。
「……ごめん」
「もう絶対、ああいうことするなよ」
「絶対しない。約束する」
理央はもう二度と同じ過ちをしないだろう。理央の目を見て、咲人はそう確信した。
その日の夜。寝支度を終えいつも通りベッドに入ると、理央に声をかけられた。
「今日から、離れて寝ようと思う。また君に何かしてしまったら僕は……自分を許せなくなる」
「……わかった」
そう答えて自分のベッドに入ると、しばらくしてから隣のベッドが軋む音がした。
消灯時間になり、部屋の電気が消える。咲人は毛布を抱きしめるようにして、目を閉じた。
静かな部屋には、時を刻む秒針の音だけが響いている。
咲人はもぞもぞと寝返りを打ち、理央の方へと体を向けた。こちらに背中を向けて眠る、理央の後ろ姿が見える。
「……理央、寝たか?」
そう尋ねた後、布団が擦れる音が立つ。
「そっちで一緒に寝たい」
「……だめだよ。僕なんかに優しくしないで」
咲人はふっと、溜め息を吐く。
「あのな、理央。俺中学の時、短距離で県内一位取ったことあるんだよ」
「そうなんだ、凄いね」
理央は相変わらず背中を向けたまま、こちらを見ない。
咲人は立ち上がると、隣のベッドまで歩き、理央のすぐ側で屈んだ。
「タフなんだよ、俺って。ちょっとやそっとじゃ壊れないし、多分お前よりも体力あると思う」
「……咲人、自分のベッドに戻って」
理央はそう言って、毛布を深く被る。その態度に、さすがにカチンと来てしまう。
「だから、大丈夫だって言ってんの!」
そう言って毛布ごと、抱きしめてやる。すると理央の体が怯えるように、びくりと震えた。
「俺の意志を無視して無理やり、とかはやめてほしいけど、理央とするの、別に嫌とかじゃないから」
その言葉に対して、理央からの返事はない。だけど咲人は続ける。
「俺はさ、学校無断で休んだりとか、俺といたいから部活やめるとか、そういうのが嫌だったんだよ」
理央が身じろぎ、こちらに振り向く。やっと顔を見せてくれた。
「……ごめん」
「……いいよ。ただ、急にそんな態度されたら寂しいだろ」
理央はゆっくり起き上がると、恐る恐る咲人の体を抱きしめてきた。その手はいつかの様に、震えている。
「大丈夫だよ、理央。一緒に寝よう?俺はお前の隣じゃないと、落ち着かないよ」
それから理央の布団入れてもらって、二人で横になった。少し距離をあけて寝ようとするその体を、咲人は抱き寄せる。頭を胸元に寄せ一定のリズムで撫でていると、僅かな隙間さえも許さないみたいに、理央の方からくっついてきた。
「……咲人、好き。君のことが、どうしようもなく好きなんだ……ごめんね」
声を震わせながら、そんな愛の言葉を投げかけてくる。自分は臆病でこの愛おしい人の心を、どうしたら癒せるのだろうか。咲人は言葉を返すように、腕の中の温もりを優しく抱きしめた。
翌朝、咲人は理央に四つの提案をした。これから先理央と上手くやっていけるように、昨晩のうちに考えたのだ。
まず、これからは直接噛むんじゃなくて、咲人がつけた傷口から摂取してもらうこと。セックスは毎日しない。そういう事はしてもいいけど、ちゃんと勉強もする。理央は弓道部を辞めない。それを提示すると、理央は少し不安そうな顔をしながらも、頷いてくれた。
「いいか、俺はな。理央とはこれからも一緒に生きていきたいんだ」
「……うん」
「俺の周りには、理央以外の人だっている。もちろん、これからもその人数は増えていくと思う。でもすぐ隣には、理央がいてくれなきゃ困る。だから理央も一緒に、俺のところまで来て。お前がいるべき場所は暗いとこじゃなくて、こっち。俺の隣だろ?」
理央の手を引き、優しく自分の元まで引き寄せる。
「理央。ゆっくりでいいから、一緒に進もう」
だがその後も、欲望を抑えられない時は無視されたり、自分勝手に抱かれもした。その度に理央のことを胸元に引き寄せ、抱きしめて眠った。
「ごめん、咲人。ごめん……」
「大丈夫だよ。何されても離れないし、理央のこと絶対、一人にしないよ」
理央は苦しんでいた。それでも必死に、咲人の思いを大切にしようとしてくれている。
どうしたら、いいんだろうな。どうしたら、理央のためになるんだろう。
きっと理央が望む世界は、自分と二人きりの世界なのだ。
それでも。理央が大切にできないものを、代わりに自分が大切にしてあげたい。理央と一緒に、光のある道を歩きたい。
すっかり冷え込んだとある日の放課後。咲人は月ノ宮学園の弓道場を訪れていた。
ここへ来るのは数ヶ月前、北見に呼ばれて以来だ。しかし中に入ろうとしたところで、警備員のおじさんに止められてしまった。
「え、入っちゃだめなの?」
「そうそう。君は関係者じゃないだろう?帰りなさい」
咲人は全く知らなかったが、最近は関係者以外入れなくなってしまったらしい。
仕方がないから諦めて帰ろうとしたところで、後ろから聞き慣れた声が飛んできた。
「あの、その子は俺が呼んだんで」
飲み物を買いに出ていた、北見だった。
その後北見が説得しようとしてくれたが、やっぱり中へ入ることはできず。理央が言えば絶対に入れてもらえるとは思ったが、自分はそんな事絶対にしない。
代わりに近くのベンチで、北見と少しだけ話すことにした。
「神崎のこと心配して見に来たんだろ?」
さすが北見だ。やっぱりここへ来た目的は、彼にバレていた。
「……うん。あいつさ、上手くやれてる?」
ほんの少しの間だが、理央は自ら休部したのだ。
もともと上手く馴染めていたのかもわからなかったため、浮いてしまっていないか心配だった。
「ああ。昨日も話したよ。この間は先輩にコツとか教えてた」
「理央が?そっか……」
北見から聞かされたその事実が、とても嬉しかった。
理央が自分から周囲に歩み寄っている。自分の願いは、ちゃんと理央に届いているのだ。
「北見、ありがとな」
「俺はなんもしてないよ。変わったのは、神崎自身だから」
少しずつだけれど、理央も進んでいる。そんな理央のために、今の自分ができること。
咲人は此処の所もうずっと、そればかりを考えていた。
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