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第49話 僕の心臓は君の血で染まっている③

 期末テストまで一週間を切った頃。二人は部屋で黙々と勉強を進めていた。  物理で一問躓いて、咲人の手が止まる。無意識に癖で口元を触りながら考えていると、隣でシャーペンを置く音がした。ほどなくして感じる、熱い視線。 「……ちょっと待って、まだ考え中」 「それ、二番が正解だよ」 「あっ、なんで言うんだっ……んっ」  横を向いた瞬間、塞がれた唇。少し食まれた後、すぐに離れていく。 「……やっぱりテスト終わるまでとか、我慢できない」  不満そうな、理央の顔。隠そうともしないその性欲は、いっそ清々しいと思う。テスト当日まではあと三日。ゆらゆらと揺れる頭の中の天秤は、わりとすぐに傾いた。 「明日、一緒に早起きしてくれる?」 「うん」 「絶対ゴムつける?」 「……うん」 「一回だけだかんな?」 「うん」  消灯時間になって、一回だけした。  その後寝支度を整えながら、咲人はこの間からずっと考えていたことを話すことにした。 「なあ理央。このテスト期間が終わったらさ、俺と一緒に帰省しないか?」  咲人の言葉に、こちらを見つめていた理央の瞳が、一瞬だけ揺れたのが分かった。 「その……理央にとってはきっと、辛い場所でもあるだろうから、無理にとは言わない」 「……ううん、大丈夫だよ。僕も、帰りたい」  そう言った理央の顔は、あの街に思いを馳せ、どこか懐かしんでいるように見えた。 「咲人と別れてから、一度もあそこへ帰ってないんだ」  無事、期末テストを乗り切った後の週末。外泊届けを出し、咲人は理央を連れて実家に帰っていた。  久々に会った母親には、開口一番に「もっと帰ってきなさい」と怒られた。けれど理央のことを見るなり、母は泣きながら喜んだ。普通に再会を喜んだ後、「かっこいい、こんなイケメンになっちゃって」と騒ぎ出して、実家に帰ってきた感じがした。  リビングの扉を開けた瞬間、咲人の足元を何かが通り抜けて行く。 「ちびすけ、ただいま」  すぐ後ろで、理央のそんな甘い声が聞こえた。飼い主よりも先に、理央の方目掛けて行くなんてちょっと寂しかったけれど、嬉しそうな理央の顔を見たらそんなことはどうでも良くなってしまう。ちびすけは一番最初に理央のことを好きになってくれた奴だから、理央のことを覚えていてくれたのが嬉しかった。  それからしばらく自室で休んだ後。咲人は理央に、ここに来た一番の目的を伝える。 「理央、あの公園に行かないか?」 「……そうだね。行ってみようか」  家を出て、幼い頃に通い慣れた道を理央と歩く。  空はあっという間に夕暮れ空になっていた。  思い出の公園に着き、二人で昔よく座っていたベンチへと腰を下ろす。 「懐かしいね、なにも変わってないんだ」 「周りの公園は遊具がなくなったりしてるけど……ここはずっと、何も変わってないよ」  出会った日、理央が隠れていた遊具もそのまま残されている。  この時間、遊んでいる子どもはもういない。公園内には、自分たち二人だけだった。 「俺、夕暮れ時って昔から苦手なんだ。あんなに騒がしかった公園から、みんな一斉にいなくなっちゃうからさ」 「……うん、わかるよ」  足元を見ると、自分よりも背の高い影が伸びている。  それが幼い頃に見ていた景色と、無意識に重なった。 「……あの夏の間。俺ずっとお前のこと、ここで待ってた」 「咲人ならきっとそうだろうなって、思ってたよ」  離れていたはずなのに、理央は自分のことをわかってくれていたらしい。  だからあの日、理央はちゃんと、自分に会いに来てくれたのだ。 「俺……子供の頃、理央との約束が増えると嬉しかったんだ」 「僕も。すごく、嬉しかった」  咲人は理央の顔を見つめる。すると理央もこちらに振り向いてくれた。 「……だからさ、理央。もう一度俺と約束をしよう」  理央の手を、ぎゅうと握った。この先に続く言葉に、祈りを込めて。 「月ノ宮を卒業したら、残りの人生全部、理央にあげるよ。俺、理央の家族になりたいんだ」  理央の瞳が大きく見開かれ、握っていた手のひらが、ぴくりと動いた。  ……そう。子供の頃からずっと思っていたんだ。理央と帰る場所が一緒だったら、ばいばいしなくていいのにって。理央に寂しい思いをさせなくて済むのにって。    目の前でゆらゆらと揺れている、理央の瞳を見つめる。  しかし、目を逸らされてしまう。それから理央は俯き、息を震わせながら深呼吸をした後、意を決したように口を開いた。 「僕の母さんは、自分の愛する人を……僕の父親を、自分の手で殺したんだ。僕にはその人の血が流れてる。そんなの咲人……怖いでしょ?」  自嘲するように、苦しそうに、理央は言葉を紡いだ。  それは、初めて聞かされる話だった。咲人の知らない、理央の幼い日の記憶。 「そんなの関係ないよ。俺が好きなのは理央だから。……というか理央、お前俺が倒れたって聞いただけであんな風になっちゃうんだから、俺のこと殺せるわけないだろ?」  こちらに振り向いた理央の瞳が、ゆらりゆらりと揺れている。理央は首を一度横に振ると、繋いだ手に力を込めた。 「本当は……出会ったあの日、君の血を飲み干して、自分のものにしてしまおうと、そう思ってた。でもそうしなかったのは……君の心が欲しかったから。僕は君の血よりも……君からの愛情で、僕をあたためて欲しかったんだ」 「……嬉しい。そんなに俺のことを、求めてくれてたんだな」  そう言って笑いかけると、ゆらゆらと揺れていた雫が、繋いでいた手にこぼれ落ちた。  理央は静かに、泣いていた。 「なあ、理央。俺たちの約束は絶対に破られることはない。そうだろ?……だから、大丈夫。俺たちはもう、離れる苦しみを知ってる。理央から離れるなんてこと、俺は絶対にしないよ。だって──」  咲人は理央の手をとると、自分の胸へと当てた。 「理央の心はもう、俺の中にあるから。俺の心も、理央の中にあるだろ?俺は絶対に、理央を一人にしない」  そう言うと、理央は涙を流しながら頷いた。 「……僕も君と、家族になりたい。僕とずっと、一緒にいてくれる?」  そんなの、答えは一つに決まっている。  けれど、きちんと言葉で伝えたい。理央の心に届けたい。咲人は理央のことを、優しく抱きしめた。 「当たり前だろ?出会った時から俺はもうずっと、理央のものなんだから」  家に戻ると、母親がご馳走を作って待っていた。  「理央はそんな食べれないんだから」って言ったら、母はちゃんと理央用のプレートも用意してくれていた。  りんご料理だらけの、りんごプレート。それを理央は、嬉しそうに食べていた。  それから順番でお風呂に入って、おやすみの挨拶をして。二階の自室に布団を敷いた。 「理央、もっとそっち寄ってよ」 「咲人はベッドで寝なよ」  理央がどうしても別々で寝たいというので敷いてあげたけれど、やっぱりそれでは寂しい。 「こーいう方が楽しいだろ、お泊まりみたいで」  枕を胸に抱きながら、そこへ頭を落とし、理央を見つめる。すると理央は天井を眺めながら、ぽつりと話しだした。 「……月ノ宮を出たら、僕は咲人を一生閉じ込めるつもりでいた」  まるで懺悔するかのようにそう言われたが、特に驚きはしなかった。なんとなく、わかっていたことだったから。  「別に閉じ込めたいなら閉じ込めてもいいけど。でもそれじゃ、つまんないと思うよ。俺はもっと理央といろんなところに行きたいし、綺麗な景色が見たい。一緒に美味しいものを沢山食べて、理央が食べれるものをもっと増やしたいんだ」  夢を思い描くようにそう告げると、理央は一瞬驚いたような顔をした後、霧が晴れたみたいに笑った。 「やっぱり咲人って、変わってるね」 「そうか?」 「うん。こんな僕のことも、見捨てないでくれたし」 「あーもう、こんなって言うの禁止な!俺お前のこと好きなんだから」 「……わかったよ」  咲人の言葉を噛みしめるように、理央は頷いてくれた。そして二人でいつものように身を寄せ合いながら、目を瞑る。  確かに自分は理央のことを助けたのかもしれない。けれど、もうずっと自分も理央には救われている。  出会ったあの時、理央が信じてくれたから。  誰かを愛しいと思うこの感情は、理央が教えてくれたのだ。

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