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第2話 雪の降る夜
佐倉悠里(さくらゆうり)は幼い頃から勉強ができた。
特別な塾や家庭教師を付けるわけでもないのに同年齢の子供たちよりも優秀だった。小学生のころは漢字を覚えるのも算数の計算も速かった。
当時周りの大人たちは皆、悠里のバースがαであると疑わなかった。
そして母親譲りの美貌で、子供の頃からどんな女の子よりも愛らしい顔をしていた。
幼少期に大人の男性から悪戯をされそうになったことも一度や二度ではなかった。
悠里の母親は金持ちαの愛人だった。正しくは愛人の一人だった。
母子家庭だけれど、公園へ遊びに行くにも必ず母親が付き添うほど少し過干渉に育てられた。
男性ホルモンは思春期に急激に分泌量が増える。
身体や精神の発達に大きく影響する第二次性徴期にバース性の検査が行われる。
中学に入学した時に一斉検査がありその結果、悠里がαではなくΩであることが確定された。
悠里の父親はαだった。
認知されていないので厳密には父親と言えない、生物学的な意味合いの父親だが。
彼は食品加工会社を経営し、5人のΩを番にし愛人にしていた。
今でいうΩの多頭飼いをしている人だった。
愛人のΩが妊娠しないように、行為後、事後薬を使って子供を処理させていた。
彼は飼っているΩが発情期になるとやってきて、事が終わると次のΩの元へ行った。
そして避妊に失敗し子供ができると、その子供がαである場合のみ認知した。
当時、悠里の母は35歳になっていた。
とても美しい人だった。
けれど将来年老いて自分が不倫相手に捨てられてしまうのではないかという不安から、子供をつくろうと決心した。
もう年齢的にも妊娠できる最後のチャンスだと思い、父親には妊娠を隠し悠里を出産した。
Ωの子供が生まれる確率は極端に低いので、たとえ子供がαでなくともβなら普通に働いて自分の面倒を見てくれるだろうと考えたようだ。
そしてバース検査で息子がΩだと発覚した後、母は父に捨てられた。
自分が捨てられたのは、全てΩであった悠里のせいだと、毎晩酒を飲みながら母親は息子を罵った。
中学の義務教育まではなんとか卒業できたが、高校へ行かせてもらえる余裕など無かった。
中学からは年齢を偽ってアルバイトし、悠里が母の生活を支え続けた。
Ωで働けない者の為の生活保護受給者となり、落ちていく母の姿は子供ながらに見ていらなかった。
日中は酒びたりで、連続飲酒、発作、幻覚(離脱症状)、肝臓その他の疾患の悪化。脳も萎縮して毎日朦朧としていると思えば急にヒステリックに叫び暴れた。
日常生活が困難になり 『もういいでしょ?つらいでしょ?一緒にいきましょう…』母が自分を道連れに死のうとした時、悠里は初めて父親を頼ろうと思った。
電車を乗り継ぎ父親の会社へ行った。しかし父親は会ってはくれなかった。
父が帰る時間が来るまで駐車場で待ち伏せた。
何時間も待った。
東京では珍しく雪がちらつく寒い夜だった。
車に乗り込むところをやっとの思いで捕まえた父親は、追いすがる悠里を無視し迷惑そうに後部座席に乗り込むと目の前でドアをガタンと閉めた。金色の腕時計が雪の光を受けてキラキラと光っていた。
「これでなんとかしなさい」と運転手が自分の財布からこっそり2万円を僕に渡した。
コートも着ずに出てきてしまった。
居酒屋のバイトであかぎれた手に血が滲んでいた。
悠里は握りしめた2万円で酒を買って、アパートまで走った。これさえあれば母はまだ生きられると思った。
その日は悠里が16歳の誕生日だった。
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あれから6年が経った。
まさか発情期がくるとは思っていなかった。
前の月に風邪をひいて熱が出たので、毎日服用しなければならないΩピルを2日だけ呑まなかったのだ。
朝から体が重いなとは感じていたが、もう2年ほど悠里に発情期はきていなかったので気にはしていなかった。
もう抑制剤も持ち歩いていなかった。
けれどヒートはきてしまった。経験したことのないような酷いヒートだった。
悠里は自分で何度かヌケば少し落ち着くだろうから、その後でΩ専用ダイヤルに電話してタクシーを呼ぼうと考えた。
まさかその時αが部屋に入ってくるなんて思わなかった。
もう社員は全員帰宅していると思っていた。
αの匂いは強烈だった。
抗えない感覚にΩである自分を呪った。
中卒で学歴のない発情期のあるΩがまともな職につけるわけもなく、悠里は日々アルバイトで生計を立てていた。
ただ父親に対する恨みと憎しみ、α全員に対する敵意だけが悠里の生きる糧になっていた。
αになんて絶対に屈するわけにはいかないと人一倍思っていたのに。
あっけなく、いとも簡単にあのαに悠理は抱かれてしまったのだ。
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