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第3話 梶隆哉(かじ たかや)

『夜空に昇ってきてすぐの月が夕焼けと同じ仕組みで、レイリー散乱によって燃えるような赤色にみえました。ぜひ夜空を見上げてみてください』 画像と共に梶のスマホにニュースが流れてきた。 今夜は満月らしい。オレンジよりもっと濃い赤に近い色にみえる画像の月は、幻想的というよりはむしろ妖艶にみえた。 定時で仕事を終えて残業しない日を、企業が設定するノー残業デーの取り組みは、自社では毎週水曜とされている。 今日は水曜で同じ部署の社員はもうフロアーには誰も残っていなかった。 ネクタイを緩めながら腕まくりしていたシャツの袖を元に戻した。 タイミングを逃すと深夜まで仕事をしてしまう。時計は21時を回ったところだった。 肩の凝りをほぐすため首を回転させる。呼吸を止めずに伸ばす部位を意識するだけで簡単なストレッチになる。軽く屈伸運動をして梶は立ち上がった。 ブリーフケースを持ち上げると、借りたまま積んであった資料が目にとまった。8階の資料室から持ってきたものだった。 帰りについでに返却していこう。そのまま帰宅できるよう、資料と鞄を持ち部署の電気を消した。 梶隆哉(かじ たかや)の職業は弁護士だった。 MIハーバー製薬株式会社という製薬会社の法務部所属の企業内弁護士(インハウスローヤー)だ。 画期的新薬の開発により、近年まれに見ぬ成長を遂げているMIハーバーは製薬大手で、今では世界中誰もが知っている企業にまで成長している。 世の中にある階級差別的なものの多くは、バース性によるものだ。 自らの意志では変えられない、生まれた時には決まっている性。とくにΩはそのバース性によって社会的地位の最下層に位置付けられている。 しかし今では、自社が開発したオメガ専用の低用量ピルができた事により、Ωの生活水準は劇的に向上した。 Ω特有の発情期そのものを抑制する薬である。 ヒート期のオメガは強烈なフェロモンを発して、性行為をおこなう。更にΩの発情期にはαアルファを誘惑する独特の「匂い」があり、それによりαをラット状態(強い性的衝動の元Ωを求め、威嚇的で攻撃的になる)にする。 Ωピルはヒートが訪れてから、抑制する従来の抑制剤とは違い、胎内を妊娠した状態だと脳に錯覚させ、『ヒート』そのものがこないようにする。 勿論薬が体質に合わない場合や、妊娠を望んでいるΩは服用していない。しかしそれ以外は薬に対する政府の助成金もあるので、ほとんどのΩがこの薬を使うようになった。 ΩピルによりMIハーバー製薬の業績は右肩上がりだった。 梶のバース性はαだ。 梶は薬学部出身だった。在学中に日本で大きな薬害集団訴訟事件があり、活躍する弁護士を見て、一念発起して法科大学院に進学し、未修者コースから司法試験に合格した。 α特有の資質が自分に備わっているからできたことなのだろう。しかし自らも努力はした。 一流企業に就職し、今は企業内弁護士として働くことにやりがいを感じている。 そしてこの会社の功績により、バース性による差別がなくなっていくであろう未来を梶は感じていた。

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