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第12話 今までの人生 

佐倉悠里は中卒だった。発情期のあるΩがまともな職につけるわけもなく、日々アルバイトで生計を立てていた。 ただ父親に対する恨みと憎しみ、α全員に対する敵意だけが自分の生きる糧になっていた。 ヒエラルキーのトップに存在する彼らを見返してやる。その思いが、いつしか法曹になるという目標に向かう事になった。 卑怯な奴らを法律で正々堂々と裁いてやりたかった。 そして社会的弱者のΩを、法律という名の元、正当に守れる立場になりたかった。 働きながら死物狂いで勉強した。体を売ればもっと楽に稼げるのは知っている。怪しい大人たちに何度も町で声をかけられた。けれど自分を見失いたくなかった。 自分の母親のようにはなりたくなかった。 そして高等学校卒業程度認定試験を受けた。 身寄りがなかったので、高認の資格を取っても誰も一緒に祝ってくれる人などいなかった。 大学へ通う資金を得る為に、夜はバーテンダーとして働いた。 バーは外国人がよく通ってくる比較的客層の良いところを選んだ。 客のほとんどがαだったが、逆に利用してやるつもりで、彼らからネイティブな英語の発音を学んだ。 客の機嫌を損ねないように努力し、コミュニケーション能力を養った。 たまに酒に酔った外国人に絡まれたが、オーナーが上手くあしらってくれた。 オーナーは悠里が酒を飲まなくてもいいように配慮もしてくれていた。 大人との上手な付き合い方を、悠里はここのオーナーから教わった。兄のようで教師のような存在だった。 図書館の近くに安いアパートを借りた。 図書館は金を払わなくてもいくらでも勉強できる場所だった。 そして自らが稼いだ金で、自分の住む場所を持てたことがなにより嬉しかった。 同時に定食屋で夜の忙しい時間帯だけ働いた。勉強に没頭すると食事を抜いてしまうため、まかないのある定食屋はありがたかった。 食費も浮くので合理的だった。定食屋の主人は、痩せている悠里を気にかけてくれていたのか、帰りに残り物を包んで持ち帰らせてくれた。 大学キャンパスの清掃員のアルバイトもした。 休憩時間に学生のフリをして大学図書館へ入ったり、講義を盗み聞いたりしながら2年過ごした。 その時は、自分が人目を引く容姿だという事に注意を払っていなかった。 大学の施設を、清掃員が勝手に利用していた事が知られてクビになった。 Ωであっても、学歴がなくても、雇ってもらえる貴重な仕事だった。悠里にとってはかなりの痛手だった。 当時の大学司書の人に「バレちゃったわね」と言われた時、自分が学生ではないことを、この司書さんは知っていたんだと気づいた。 知っていながら見逃してもらっていた事実に気が付き、とても恥ずかしく、申し訳ない気持ちになった。 今思えば、コピー機は無料で使えるとか、この時間帯は学生も少なくて良いとか、その人は色々教えてくれた気がする。 バーのオーナー、定食屋の主人、大学司書の人、その時々に出会えた優しい人達に助けられてここまで生きてきたと感じていた。 だけどその世話になった全ての人は、αではなくβかΩの人たちだった。 同じ頃、日本にΩ専門法務士という新たな国家資格ができた事をニュースで知った。 『 全てのΩは法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない』 Ω性の人々を法の元に守るという目的のための資格だった。 だが、その試験に合格した者全員がαだった。 甲種と乙種があり、乙種で合格率が20%、甲種に限っては3~4%前後だという超難関資格だった。ただし、受験資格はなし。年齢・性別・学歴不問、誰でも受験できる。 年1回の試験は1月中旬に短答式試験、論文式試験があり、合格した者だけ口述式試験に進める。 大学を卒業しなくても受けられるという事は、他の必要のない科目を勉強しなくても、それだけに特化して勉強すれば良いわけだから容易い。 目指すはこれだと考え、悠里は大学受験からΩ専門法務士試験へ方向転換した。 ちょうど悠里が20歳の誕生日だった。 目標が定まり、これからだという時だった。 それから2年が経ち22歳になっていた。 調子に乗っていたツケがまわってきたのだろう。3カ月後に試験があるという時にあんな事態に巻き込まれるとは。 ビル清掃の仕事は、低学歴でも就けるありがたいアルバイトだった。 Ωピルという画期的な薬ができて、その薬を開発したMIハーバー製薬のビル清掃の求人を見かけた時は、自分は運がいいと思い即座に応募した。 深夜0時から翌朝5時までの清掃業務だった。清掃業者のIDで特別な部屋以外は自由に出入りできた。勉強スペースがある図書資料室を知った時は『やった』と思った。 そこはほとんど人が使わないにもかかわらず、数多くの法律関係の本が揃えられていた。 悠里は清掃の仕事が始まる前、ビルに人けがなくなってから、8階資料室へ行って数時間勉強することができた。 水曜日は社員の帰宅が早いらしく、夜7時くらいにはビルにほとんど人がいなくなっていた。落ちついて勉強できる悠里にとっては有り難い時間帯だった。 多くの従業員がいるこの会社では、シャツにスラックス姿でいれば、知らない人物でも怪しまれず、別段目立たなかった。 だから通勤時の服装をスーツに変えて、悠理は清掃の仕事へ通っていた。 あの日はどうしても調べたい事案があった。早すぎるとは思ったが、昼間から資料室へ勉強しに行った。 ドアが2か所あるので誰かが入ってきたら別のドアから逃げればいいと考えた。 今までも数回、MIハーバーの社員が入室してきたことがあった。 だけど、たとえ鉢合わせたとしても、軽く頭を下げ挨拶したら特に気にされる様子もなく、そのまま部屋を出ていくことができた。 そして忘れもしない。 10月2日満月の夜。 悠理は「梶隆哉」に出会ってしまった。

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