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第19話 思い出せ

父親を見たことによって、当時の忘れてしまいたい記憶が、無意識に思い出される。 それが今、現実に起こっているかのような感覚。 悠里にとっては恐怖そのものだった。 けれどそれを克服するために、自分は戦おうと決めたのではなかったか。 思い出せ、自分は何のために法曹を目指しているのかを。 思い出せ、αは全員自分の敵だろう。 思い出せ、あの雪の日の悔しい思いを。 思い出せ、αの父親のせいで自殺してしまった母親の事を。 思い出せ……思い出せ…… フラッシュバック。背中にじっとりとした汗が流れる。 なんで自分は今αと同じ空間ににいて平気なんだ。何を考えているんだ。 嫌な記憶に関連する物を思い出さないように、考えないようにしていた。確かにあった現実なのに記憶があいまいになっていた。 梶さんが肩に手を置こうとした。 悠里は思わずその手を即座に振り払ってしまった。 無理だ。 αは……無理だ。 あの時の強烈な恐怖感が今、まさに甦っていた。 「梶さん……少し一人になりたいです」 悠里は声を絞り出すように梶さん伝えた。 「駄目だ。説明して欲しい」 「今は少し無理なんで、時間をください……」 体中の勇気を振り絞って悠里は頼んだ。 「駄目だ」 梶さんはまるで聞きわけのない子供のようだった。 顔面が蒼白になって、今にも倒れそうな自分を抱きかかえようとする梶さんを、怯えながら必死に拒絶する。 エレベーターに押しこまれ、部屋の階を押したところで、後ろから声をかけられた。 隣の部屋の山本さんだった。 「よかったら、悠里君を預かります」 梶さんはすごい形相で山本さんを睨んだ。 「……悠里君うちにくる?」 大きく頷くと、梶さんの手を振り払って、山本さんの腕に縋りついた。 山本さんは、落ち着いてというように右手で梶さんを制止する。 「お前、誰だよ!」 梶さんは敵意をむき出しに山本さんを怒鳴りつけた。今にも掴みかかろうとするかのような勢いだった。 悠里は大きな音や攻撃的な声にビクッとした。 「悠里君とは友人です。隣に住んでいる山本といいます。悠里君は調子が悪いようですので……少しの間だけうちでお預かりします。悠里君が落ち着いたら、部屋に戻るように言いますので、今のところは私に任せてもらえませんか?」 山本さんは冷静に、はっきりとした口調で梶さんに言っていた。彼は僕を背中に隠し庇うような体制になっていた。 ***************************** 山本さんの家に入ったと同時に悠里は倒れこんだらしい。 気がついたらベッドの上に寝かされていた。 見たこともない空間に、ここはどこだっただろうと記憶を手繰り寄せる。 「気がついた?」 山本さんだった。 「2時間ぐらい眠ってた。というより気絶してた感じかな」 「す、すみません。ご迷惑をおかけしました」 謝るしかなかった。起き上がって頭を下げる。 「別に構わないけど、警察を呼んだ方がいいなら、そうしようか?」 山本さんはそう訊いてきた。 警察という言葉に背筋がこわばった。 「ち、違います。ごめんなさい。梶さんは関係なくて。僕のその……」 山本さんにも言わなくちゃいけない。今は梶さんには会いたくない。でも説明しなくちゃいけない。何をどこから、どう説明すればいいのか悠里にはわからなかった。 山本さんが使っているのであろう寝室らしきその部屋は、木目調の家具で統一されていて、大小さまざまなグリーンが配置されていた。 陶器でできたアロマディフューザーから優しい木の香りが漂ってきた。壁にはドットで描かれたパネルが飾られている。 山本さんの趣味で彩られたその室内は梶さんの部屋のように、ほとんど物を置かないシンプルすぎる部屋とは違って、人間味がある温かい雰囲気だった。 ホットコーヒーにミルクをたっぷり入れて山本さんは持ってきてくれた。 「落ち着いたら事情が聞きたい」 山本さんは悠里を急かすでもなく、優しくそういってくれた。 「あっちで仕事してるから、遠慮しないでゆっくり休んで」 山本さんはそう言うと、ゆっくりとした足取りで静かに部屋を出て行った。

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