19 / 61
第19話 思い出せ
父親を見たことによって、当時の忘れてしまいたい記憶が、無意識に思い出される。
それが今、現実に起こっているかのような感覚。
悠里にとっては恐怖そのものだった。
けれどそれを克服するために、自分は戦おうと決めたのではなかったか。
思い出せ、自分は何のために法曹を目指しているのかを。
思い出せ、αは全員自分の敵だろう。
思い出せ、あの雪の日の悔しい思いを。
思い出せ、αの父親のせいで自殺してしまった母親の事を。
思い出せ……思い出せ……
フラッシュバック。背中にじっとりとした汗が流れる。
なんで自分は今αと同じ空間ににいて平気なんだ。何を考えているんだ。
嫌な記憶に関連する物を思い出さないように、考えないようにしていた。確かにあった現実なのに記憶があいまいになっていた。
梶さんが肩に手を置こうとした。
悠里は思わずその手を即座に振り払ってしまった。
無理だ。
αは……無理だ。
あの時の強烈な恐怖感が今、まさに甦っていた。
「梶さん……少し一人になりたいです」
悠里は声を絞り出すように梶さん伝えた。
「駄目だ。説明して欲しい」
「今は少し無理なんで、時間をください……」
体中の勇気を振り絞って悠里は頼んだ。
「駄目だ」
梶さんはまるで聞きわけのない子供のようだった。
顔面が蒼白になって、今にも倒れそうな自分を抱きかかえようとする梶さんを、怯えながら必死に拒絶する。
エレベーターに押しこまれ、部屋の階を押したところで、後ろから声をかけられた。
隣の部屋の山本さんだった。
「よかったら、悠里君を預かります」
梶さんはすごい形相で山本さんを睨んだ。
「……悠里君うちにくる?」
大きく頷くと、梶さんの手を振り払って、山本さんの腕に縋りついた。
山本さんは、落ち着いてというように右手で梶さんを制止する。
「お前、誰だよ!」
梶さんは敵意をむき出しに山本さんを怒鳴りつけた。今にも掴みかかろうとするかのような勢いだった。
悠里は大きな音や攻撃的な声にビクッとした。
「悠里君とは友人です。隣に住んでいる山本といいます。悠里君は調子が悪いようですので……少しの間だけうちでお預かりします。悠里君が落ち着いたら、部屋に戻るように言いますので、今のところは私に任せてもらえませんか?」
山本さんは冷静に、はっきりとした口調で梶さんに言っていた。彼は僕を背中に隠し庇うような体制になっていた。
*****************************
山本さんの家に入ったと同時に悠里は倒れこんだらしい。
気がついたらベッドの上に寝かされていた。
見たこともない空間に、ここはどこだっただろうと記憶を手繰り寄せる。
「気がついた?」
山本さんだった。
「2時間ぐらい眠ってた。というより気絶してた感じかな」
「す、すみません。ご迷惑をおかけしました」
謝るしかなかった。起き上がって頭を下げる。
「別に構わないけど、警察を呼んだ方がいいなら、そうしようか?」
山本さんはそう訊いてきた。
警察という言葉に背筋がこわばった。
「ち、違います。ごめんなさい。梶さんは関係なくて。僕のその……」
山本さんにも言わなくちゃいけない。今は梶さんには会いたくない。でも説明しなくちゃいけない。何をどこから、どう説明すればいいのか悠里にはわからなかった。
山本さんが使っているのであろう寝室らしきその部屋は、木目調の家具で統一されていて、大小さまざまなグリーンが配置されていた。
陶器でできたアロマディフューザーから優しい木の香りが漂ってきた。壁にはドットで描かれたパネルが飾られている。
山本さんの趣味で彩られたその室内は梶さんの部屋のように、ほとんど物を置かないシンプルすぎる部屋とは違って、人間味がある温かい雰囲気だった。
ホットコーヒーにミルクをたっぷり入れて山本さんは持ってきてくれた。
「落ち着いたら事情が聞きたい」
山本さんは悠里を急かすでもなく、優しくそういってくれた。
「あっちで仕事してるから、遠慮しないでゆっくり休んで」
山本さんはそう言うと、ゆっくりとした足取りで静かに部屋を出て行った。
ともだちにシェアしよう!