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第23話 ひとりの時間

久しぶりにアパートへ帰ってみると、隣の外国人は引っ越してしまった。空き部屋になった隣室からは生活音でさえ聞こえなくなり、なんだか寂しく感じた。 部屋の中はとても静かだった。 年末にかけて、工事が急ピッチで進められていた商業施設の騒音は、なぜかあまり気にならなかった。 悠里は日に一度だけ食料を買いに外出したが、自分ひとり分の買い物の量など、たかが知れていて、すぐに終わって家に戻ってきてしまう。 それ以外の時間はほとんどを勉強に費やし没頭した。繰り返し法律に関する文章を読み暗記し問題を解いていった。 勉強に集中していると他の事を考えずに済んで気が楽だった。 世間はクリスマスを迎えすぐに年末、年越しがやってきた。 一度も梶さんには連絡を取らなかった。 梶さんからも連絡がなかった。 何度か隣の山本さんとは電話で話した。 自分のアパートに戻り、試験の勉強をすると報告した。 梶さんの様子が少しでも聞けるかと思ったが、そもそも彼らはお互いに顔も知らないような間柄だった。山本さんと梶さんが、互いに相手の状況を把握できるはずもなく、梶さんはどうしているかと訊くのもはばかられた。 夜、布団に入って眠るとき、梶さんの事を必ず思い出してしまった。 梶さんは誰もがうらやむ大企業の弁護士で、普通ならば僕なんかが相手にされるはずもないエリートだ。 貧乏で正職にも就いていない、ただのΩごときが近づいていい存在ではない。 自分は奢れていたのだろう。 梶さんには、もっとふさわしい相手がいるはずで、世の中には分相応という言葉がある。 勉強以外では何も考えないでおこうと思っているが、それは無理だった。 そして思い出される事物は、そのほとんどが梶さんの事だった。 自分の生い立ちは聞いてもらったが、梶さん自身の事はあまり知らないと思った。 生まれた場所やご両親の事。 友達や仕事の事、かつて付き合っていた恋人の事。 聞いていなかったことに後悔した。 自分は今まで彼と共に生活してきたひと月の間、いったい何をしていたのだろう。 もっと梶さんの事を聞いておけばよかった。 そうすればもっと思い出せることがたくさん増えたのに。

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