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第35話 法律事務所
翌週から悠里は飯田法律事務所へアルバイトに行くことになった。
訴状の作成(債務整理・民事再生・破産等の手続き)、裁判所へ判決書・和解調書などの提出 、書類のファイリング、電話応対など様々な仕事を悠里は手伝った。
特に陳述書・判例などを手書きの原稿を見ながら資料作成する仕事はミスがあってはいけないので、神経を使った。過去の判例などはとても勉強になりタイピングしながら頭に入れていった。3日もすると悠里のタイピングは正確で高速になってきた。
パソコンで入力する作業に力は使わないが肩がこるし、同じ体制で一日中椅子に座っていると腰も痛くなってくる。
先生は近所の『もみほぐし屋』というところの常連のようで、時間があればすぐにマッサージに行ってしまう。
どうも奇麗なお姉さん目当てだあることが最近分かってきた。
マッサージから帰ってきたらなんだかスッキリした様子で、リフレッシュ後は仕事も悠里の3倍のスピードでこなしているので文句はいわないようにした。
先生は自分はおしゃべりだといったが、仕事中は全く無駄口をたたかなかった。
休憩中や仕事が一段落すると、近所の人たちの噂話をしたり、芸能人のゴシップについて面白おかしく悠里に話してくれた。
100年以上続く老舗の和菓子屋がつぶれるとか、酒屋の○○ちゃんに5人目の子供ができたとか、そういう話をしながら子育てに関する法の改正だったり、債務整理に関することだったりを教えてくれた。
飯田先生との仕事は面白く、悠里の学習意欲をかき立てた。
教えたことをスポンジのように吸収する悠里を飯田弁護士も可愛がってくれているようだった。
「そろそろ散髪にでも行こうかな」
先生が言ったので、このチャンスを逃すまいと、近所の床屋さんに予約しますと即座に電話をした。
先生は身なりに気を遣わないタイプなので、とても貧相に見える。
もう少し弁護士らしく見栄えのする物を着用すれば、それなりにかっこよくなるのにと思っていた。
スーツもくたびれているので新調したらどうだろうと、先日商店街のテーラーで2着オーダーした。
出来上がったと連絡があったので取りに行ってきたばかりだ。
着せ替え人形のように誰かのコーディネートをする事が、意外と楽しい事に気がついてしまった。
きっと梶さんも自分にそう言う感覚で物を買い与えてしまったのかもしれないと今更ながら思った。
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「『馬子にも衣裳』って言われたよ。今までそんなに酷い服装だったかな?」
先生はそう言いながら恥ずかしそうに頭をかいた。
商店街のおばちゃんやご近所さんにからかわれたらしい。
元がいいので少し小奇麗にするだけで先生は見違えった。
確かに驚くべき変身っぷりだった。
「先生よく似合ってます。かっこいいです」
と悠里が褒めると、まんざらでもない感じで嬉しそうにニコッと笑った。
「よし今日は寿司だ。奢るぞ悠里くん寿司を食いに行くぞ!」
そう言い寿司屋に予約を入れ、さっさと仕事を片付けるように悠里を急かした。
梶さんが出張中で、別段帰りが遅くなっても問題なかったので、先生にご一緒させてもらうことにした。
銀座の高級寿司店で先生にご馳走になった。
先生はこういう店に行き慣れてないだろうと思いきや、やはり弁護士をしているだけあっていろんな場所へ出入りしているようで、店の大将は知り合いのようだった。
「ところで今日は大丈夫だった?僕が夕飯誘って、彼氏に怒られやしないか気になるな」
先生が言うので、今日は出張へ行ってるので大丈夫ですと返した。
先生には梶さんと一緒に住んでいる事を話していた。
お寿司屋さんのカウンターに座ると、飲み物のリストはあるんだけど、お寿司の価格やネタの種類などのメニューが無かった。
大将がガラスケースに入ったオススメのネタを紹介してくれた。
コースがあるからそれでいいよね?と少し戸惑ってしまった悠里に、飯田先生が言ってくれた。
はいと返事をして、大将のおまかせにしてもらった。
正直悠里はこういう高級な店に来たことがなかったので緊張してしまった。
「あまり悠里くんのプライベートに踏み込むのはどうかと思って聞かなかったんだけど、彼も法曹界にいるんだよね。どこの事務所?」
「彼は企業の法務部に所属しています。サラリーマンです。ですから個人的な案件などを取り扱ってる事務所の弁護士ではないです」
企業内に弁護士がいるとなるとそれは大手の証拠である。
そこで働けるというのはハイクラスの証だ。
「そうか、エリートだね」
先生はそう言いながら納得したように頷いた。
穴子が出てきた。一度煮出した穴子を笹の葉の上で焼いている。丁寧なその作業は職人技というより芸術だなと思って思わず見入ってしまった。
大将は悠里が物珍しく見物しているのに嬉しくなったのか、オーバーリアクションで激しく穴子をあぶっていた。大将の様子に横で飯田先生がくすっと笑ったように思えた。
「……まだ若いからあれだけど、結婚とか考えてないの?」
先生と梶さんについて深く話をするのは初めてだった。
ただ、Ωの両親もいない自分が比較的見栄えのいいものを着ていて、住んでいるマンションも高級な事に違和感を感じているようだった。
特に同居している相手に、先生が興味があるようには見えなかったが、もしかしたら援助してくれるパパがいるのかもと思われていたのかもしれない。
梶さんと自分の名誉を守るためにも、援助交際しているわけではない事をはっきりしておかなければいけない。
「僕が未熟者なので、ちゃんと独り立ちしてからそういうことは考えたいと思っています」
と堂々と言った。それを聞いて先生は、おやっ?っと驚いたような顔をした。
「なるほど、それならまだ僕にもチャンスはあるってことだね」
と冗談を言って笑った。
「セクハラ事案です」
悠里は少し怒ったふうに返しておいた。
〆に玉子が出てきた。四角いカステラのような卵焼きだった。オーブンで焼いたのかなと思ってしまうほどの厚みがあり、今まで食べたことのない食感だった。
大将は卵焼き専門の職人がいるんですよと丁寧に教えてくれた。
「銀座の高級な寿司を体験できて良かったです。ごちそうさまでした」
と先生にお礼を言うと、連れて来た甲斐があるってもんよ!と飯田弁護士は上機嫌だった。
後から考えた。
今日のお寿司の会計で、先生は新しいスーツがもう一着買えたのではないかと。
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