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第40話 梶と飯田

田中井の関係者に会うだけで、悠里は気分が悪くなるような状態だ。 本人に会って対決しようなんて、どう考えても無茶だ。代理人が何のためにいるのか悠里にはちゃんと説明しなければならない。 同じことを飯田弁護士からも言われていると悠里は言っていた。 何度か悠里の件で飯田弁護士から連絡を受け、電話で話をした。その後一度飯田弁護士と会う機会をつくることになった。 自分の持っている『田中井 英雄』に関する情報を全て飯田弁護士に渡すためだった。 悠里には自分が田中井について調べていたことは言っていなかった。 梶は悠里がマンションを出ていったとき、田中井について個人的に調べ上げた。 その時の資料が少しでも役に立てばと思ったのと、悠里が毎日顔を合わせている職場のαをけん制するために会ったのだった。 彼は悠里が言っていたような『うだつが上がらない』感じの弁護士ではなかった。 見た目も悪くないだろう。 初見は思っていたイメージとは違うと感じた。 田舎くさいバツイチのおじさんだと思っていたが、この人は別の意味で魅力的だ。人情味あふれる人当たりの良さそうな外見だが、中身はかなり切れ者。敵に回すと怖いタイプだ。もちろん自分が負けているとは思はないが。 自分と正反対のこのα弁護士に、悠里がなびかないという保証はない、と少し焦りを覚えた。 しっかりした考えを持ち、仕事はできるだろうけど、どうも、そこを上手くはぐらかしているような雰囲気の男だ。 よく言えば謙虚、悪く言えば胡散臭い男だった。 胡散臭いという言い方は失礼だろう、訝しいというべきか。どっちも大して変わりはないが。 確かに仕事の面では信頼できそうだ。だが最終局面に来た時、思ってもいない方向から矢が飛んできて、裏切られそうな気配がする。 飯田弁護士は、悠里が今まで集めた情報と梶の持ってきた資料を照らし合わせて、田中井の愛人だった人物たち、それとその子供たちを絞り込んだ。 「所在がつかめない者も数名いて、もう二度と関わりを持ちたくないと言っている人たちも多い」 そう飯田弁護士は言っている。 「そうでしょうね」 梶よりは先輩にあたる弁護士だ。梶の方がいつしか敬語になっていた。 「少なくとも昔のこと過ぎて、愛人の多くは記憶があいまいになっている部分が多い」 「正確に何月何日にどこへ行ったとか、ホテルや、自宅に滞在した時間などの、証拠が残っていればいいですけどね」 「日記や、領収書、そういう物はなかった」 梶は相槌を打った。 「しかし、慰謝料として現金が入る可能性を示唆すると、元愛人たちは積極的に協力してくれた」 世の中、金で動くものは多い。恨みで動いても、何の得にもならないのなら、その労力が無駄だと思う人はある意味賢いだろう。 仕事とはいえ、手のかかる案件であるのは確かで、それを地道に続けられる彼には頭が下がる。 「私は彼の上司として、彼のこの先の進路にもかかわってくると思ってお尋ねします。悠里君とはまだ番にになってはいらっしゃらないようですね。立ち入ったことをお伺いしますが、今後その予定はあるのでしょうか?」 突然の関係確認に少し驚いたが、そこは余裕を見せて答えた。 「プライベートな事ですね。私たちは今後番になり、共に一生過ごしていくつもりでいます。勿論家庭を持ちます。悠里は司法修習を終えてから、ちゃんとした関係を結びたいと思っているようです」 そのつもりは十分あるのだが、悠里が納得してくれない。 この弁護士、やはり悠里に恋愛感情を持っている。さて、どうするか。 「……なるほど」 「話を戻しますが、悠里は2か月後には司法修習の為に東京を離れる事になるでしょう。ですから来月、長期の休暇をもらいます。1週間ほどヨーロッパを周遊してくるつもりです」 その許可は飯田弁護士に取っていると悠里は言っていたが、ここでダメ押しの確認だ。 「ああ、はい。彼から聞いていますのでそれは構いません。いいですね羨ましい」 顔には出さないが彼の言葉に少し悔しさが滲んでいるような気がした。 梶はマウントを取ったぞと内心ほくそ笑んだ。 「助かります」 「……え?」 突然の助かる発言に梶は虚を突かれた。 「彼を国外に連れ出してくれている間に、私は田中井と直接話し合う機会を設けようと思います。悠里君がいると何かと動きづらい面もありますので」 なるほど、悠里は自分の事だから知りたがるだろうし、いろいろと口を挟むこと間違いない。直接対決するのなら、悠里がいない時の方がいいだろう。そこまでちゃんと考えていたのかと思うと、やはりこの弁護士やり手だなと梶は認識した。 ************************************************* 梶さんと飯田弁護士が、下の喫茶店で話をしているとはつゆ知らず、悠里はのんきに事務所に帰ってきた。 裁判所で気になる裁判があったので傍聴してきたのだった。 誰でも予約せずに裁判は傍聴できる。「社会勉強」と思って裁判の傍聴にくる人も多いようだが、初めて行った人は、正直こんな昼ドラのようなことが現実に起こっているんだと驚くだろう。 だから物見遊山で裁判を傍聴するのなら、殺人事件などは衝撃的だと思うので決しておすすめはできない。 階段を上がろうとした時、悠里は呼び止められた。60歳くらいの男性だった。 知り合いではないだろうが、彼は重たそうな紙袋を抱えて悠里の元へ近寄ってきた。 男性は事務所に入ろうかどうしようか、ずっと迷っていたようだった。 「……お久しぶりです。立派になられましたね」 彼は悠里にそう言うと頭を深く下げた。

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