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第54話 飯田の奮闘
その頃東京では、飯田弁護士が田中井英雄を相手に、彼の過去の愛人、番にされた30名から慰謝料を支払うよう内容証明を送っていた。
先日やっと子供たちに対しての示談書、和解書を作成し、解決金が支払われた。
ひとまず解決したということ。
けれど、その後すぐに、愛人たちからの慰謝料請求だ。終わったと思っていただろう田中井側は驚いたと思う。
このままでは、要求がエスカレートし、どこまでも金を搾り取られると思ったのか、彼らは話し合いを求めてきた。
話し合いなどで解決に至るはずがない。
証拠がない、不十分な場合には調停を選択するが、そうでない場合には裁判を選択すべき。
田中井のΩに対する行為はちゃんと首の後ろに残っている。飯田弁護士は早期解決を望むのなら裁判で決着をと要求した。
あちら側は意味のない過去に書かせた『愛人契約書』などを証拠として持ち出すだろうが、そんなものは自分の首を絞めるだけの物。
こっちには命を懸けて沢田さんが残してくれた彼の行動記録がある。
この事が明るみに出れば、沢田さん殺害の首謀者である証拠はつかめなくとも、社会的に田中井を抹殺できる。
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田中井の代理人、片山弁護士は感情を表に出さずに仕事をする人間なんだろう。
飯田は思っていた。
「認知しないことを認める合意書がる。なのにそちらの要求通り、解決金を支払ったのですよ」
「だから、なんですか?」
「愛人達の要求は同意しかねます」
「妊娠はするなと言っていたのに、勝手に子供を産んだと罪悪感を植え付ける。そんなやり方は人としてありえないですよね?そう思いませんか片山弁護士」
「私個人の意見は関係ありません」
銀縁のメガネの奥の目からは感情が読み取れない。
「本妻から愛人に慰謝料請求をさせる事も可能ですよ」
「Ω法をご存知でしょう。昔とは違う」
「その当時はそんな法律はなかったのですから」
「戦いますか?そちらに勝算はありませんけど、それでもいいならどうぞご自由に」
彼は深いため息をついた。
「話し合いましたが、無理でしたと報告するしかないですね」
片山弁護士は諦めるしかなかった。これ以上話し合っても無駄だ。裁判に持ち込まれたとしても負ける。
そう。田中井は不本意ながらも応じるしかないのだ。
「片山弁護士も大変でしょう。心中お察しします」
「仕事ですから」
ここからはオフレコで。というか雑談ですが、と飯田弁護士は話し始める。
「彼のやってきたことは、血が通っていない、冷酷すぎる、自分の欲求を満たすためだけの行為だった。今まで愛人の生活費として渡していたお手当てを返すように要求するとか。関係を切り離しこれから一切援助しないと脅したりとか」
「そうですね。身勝手だ」
片山弁護士からやっと人間味のある言葉が返ってきた。
「何が善かという事を分かって行動し、自分の信念を貫かれたらどうでしょう。私達は皆、何のために法曹の道を選んだのでしょう。一刻も早く彼の弁護士を降りるべきです」
片山弁護士はゆっくり頷くと。
「……考えておきます」
ゆっくりと席を立った。
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片山弁護士はかなり苦労して田中井を説得したのだろう。
『田中井は慰謝料を払ってもいいと考え、その金額について合意に達しました。』という連絡を受けた。
こちらの要求通りΩの愛人達に対し慰謝料が満額支払われることとなった。
こちらの要求をすべてのむ代わりに、彼女たちが田中井氏に対して今後連絡、接触をして来ないことを約束させられた。
また、番関係や慰謝料請求の件について他人に言いふらされないよう他言禁止も約束させられた。
『ただ約束させただけではちゃんと守るかわかりませんので』ということで、違反したときの違約金が設定された。
その事は愛人達、子供達にもちゃんと伝えている。そこから話が漏れる事はないと思われる。
自分達の勝ち取った慰謝料をそんなくだらない事で取り上げられてはたまったもんじゃないだろう。
愛人達は『謝罪要求』よりも『現金』を優先した。現実的といえばそうなのだろう。
悠里はその知らせを聞いた。
終わったんだと思った。
悠里に入った解決金と亡くなった母親の慰謝料をまとめて全額、沢田さんのご遺族宛に送金した。
ご遺族は彼は正しいと思ったことをしたまでです。悠里のせいではありませんと言ってくれた。
こんなことで済まされるとは思っていないが、せめて気持ちとして受け取って欲しいとお願いした。
他言禁止といえど、過去に誰かに愛人であったことを話していたり、田中井の子供であることを伝えたりしていたらそれは仕方がない事。今更もう遅いわけで、彼らが長年生きてきた中で、誰にも何も言っていない方があり得ない話だ。
関係のない他人であればその人が何を言おうが知ったこっちゃない。人の口には戸が立てられない。
その後片山弁護士は田中井の担当を外れたと聞かされた。
しばらくして、田中井氏の悪い噂が世間に出始めた。それをネタに、ばらされたくなければ金を払えと脅されたりもしたようだ。
脅した者は、こちらとは関係のない部外者の誰かだろう。
世間の噂や評判は止めることはできない。
とうとう田中井氏は記者会見を開くこととなった。
会見では、『Ωの女性たちに自分は騙された』などと田中井は涙ながらに訴えていた。『Ωトラップという言葉があるだろう』と。
実際、Ωトラップは存在する。わざと項を噛ませて、自分の生活の面倒を生涯にわたってみてもらおうとするΩも残念ながらいることは確かだ。
しかし田中井氏の場合、愛人関係にあったΩは30人だ。
30人の数のΩの項を噛み、番にしていた事実は流石にトラップに引っ掛かったなどという言い訳は通用しない。
会見は人々の不評をかい、田中井を擁護する人はいなった。
田中井氏は何億もの慰謝料、解決金を支払ったにもかかわらず、会社の株価は下がり経営は危うくなっていた。
しかし、かなり手広く事業を展開していたので、時間が経てばなんとか元に戻るかもしれない。
資産はまだ数十億はあるだろうと言われていた。
そうした中、司法修習生考試(二回試験)に合格し、法曹資格を取得して、悠里がΩ専門法務士として東京へ帰ってきたのだった。
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