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第55話 梶さんのマンション
久しぶりに東京のマンションに帰った。
留守にしていた1年近く、思い出さなかったことはなく、夜になると梶さんのこと思い出し寂しくなった。
今日帰ってくることが分かっていたのか、部屋は綺麗に掃除がされていた。
そういえば昔、梶さんの家はシンクが郵便物の入れ物になり、コンロの上がパソコンデスクになっていたなと懐かしく思い出した。
玄関を入った時から彼のフェロモンの匂いが悠里の鼻腔をくすぐり、深く吸い込んで体中にそれを取り込んだ。
『今マンションへ到着しました』
『お帰り!待ってたよ。今日は定時で必ず帰るから一緒に夕食を食べよう』
『久しぶりに美味しいものを作りますね、待ってます』
『今すぐ飛んで帰りたいよ』
これ以上 LINE を続けると梶さんは仕事にならないだろうと、クスッと少し笑いながら、ちゃんと仕事をして帰ってきてくださいと返信し、悠里はスマホを置いた。
福岡で過ごした1年で学ぶ事は多かった。あらゆるものを吸収し、悠里は成長して帰ってきた。
自分が生きていく方向性も決まり、将来の夢を叶え、やっと前へ進むことができると思うと嬉しかった。
そろそろ梶さんとの関係もはっきりさせるべきだ。
悠里をずっと支えてくれ、いつも見守っていてくれた。彼がいなければ今の自分はなかったかもしれない。
自分の部屋に荷物を片付け、しばらくしたら飯田弁護士の所に挨拶に行こうと決めた時にドアのインターフォンが鳴った。
悠里が東京へ帰ってきたことは、一部の人にしか知らせていないはずなのに、この平日の時間帯に誰だろうと不思議に思った。
インターホンのモニターを覗くと、そこには見覚えのある青年が立っていた。
久しぶりだと思い悠里は彼を家へ上げた。
彼は沢田さんの息子さんの沢田一正(さわだいっせい)君だった。
葬儀の時何度があったことがあるが、まだ大学生だったこともあり少年の面影を残すひ弱な感じの子だった。
お父さんが亡くなってからまだ一年半ほどしか経っていなかったが、彼は随分成長したように見えた。あの時よりもずっと大人になった一正君は、スーツを来て手土産を持参し、悠里に挨拶に来てくれたようだった。
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「その節は大変お世話になりました」
「いえ、こちらこそ…………元気だった?僕が帰って来たことがよくわかったね」
「はい、おかげさまで。悠里さんのことは飯田法律事務所の飯田先生から伺いました」
そっか飯田さんに聞いたんだと納得した。
悠里は沢田さんの代わりに彼の将来をちゃんと見届けたいと思っている。
「この先、一正君は就職するの?それとも大学でまだ学ぶのかな?」
確か、法学部だと聞いていた。
「今は、大学4回です法学部の学生です。進路は父が望んでいたように弁護士を目指したいのですが、僕はそれ程できが良くなくて……Ω專門法務士や弁護士は無理でも、何らかの法律に携わる仕事につければいいと考えて、大学院に進学しようと思っています」
よく見ると彼のスーツはリクルートスーツだった。そういえばもう4回生だった。
弁護士になろうと思ったって誰もがなれる訳では無い。かなり難関だ。自分も血の滲むような努力をした。
前回会った時にはそれほど気にしていなかったが、こういった明るい場所で彼を見ると、男性にしては線が細く目がクリンとしていて可愛らしい顔立ちをしている。
もしかしたら……
「僕はΩです」
彼は自分からそう言った。
悠里は頷く。
「やはりバース性は就職に不利だなと感じるところがあります。偏見をなくそうという今でも、多少なりともそういう差別はあります」
「そうだね。この世の中にバースが存在する限り、なくならないものなのかもしれない」
けれど、Ωだから無理だと思って欲しくない。Ωでもできる事はある。そのお手本は僕だ。
悠里は彼の葛藤を感じながらも心の中で負けるな!とエールを送った。
話し方もしっかりしているし、『自分はできが良くない』と、自信なさげなことを言ってはいるが、お父さん(沢田さん)と同じような正義を重んじる人物に見えた。何か心に秘めた決意のような物を持っているのかもしれない。
彼が22歳だとすると、悠里より3つ下。あまり年齢は変わらない。
当時沢田さんはユーリの姿を自分の息子に重ねていたのかもしれない。
しっかりと成長した息子さんの姿を見ると、また目頭が熱くなった。
「僕と君とは、あまり年齢が変わらない。お父さんのことは、本当に申し訳ないと思っています」
深々と頭を下げる悠里。
「何度も言いましたが、悠里さんの責任ではありませんのでその辺はもう……」
そう言うと彼は持ってきた鞄の中から沢田さんの業務日誌を取り出した。
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