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第57話 新しい職場

先日、悠里は一正君を飯田法律事務所に連れて行った。 その時飯田先生は事務所で働かないか、と一正君にアルバイトをすすめた。 法学部にいる彼にとってはインターン的な感じで雇ってもらえるのは有り難かったようだ。 話をしているうちに、大学院へ行くよりも働きながら資格取得を目指したいと彼が思っていることがわかった。 飯田先生は彼にやる気があるなら、この事務所で雇おうと思っているのかもしれない。 悠里はもっと大きな事務所からの誘いが沢山あったにもかかわらず、飯田法律事務所に就職した。 それはΩ專門法務士の試験に合格する前から決めていた事だった。 悠里のいなかった間も先生はひとりで、田中井と戦ってくれた。その時間と労力は計り知れない。 前回の田中井との対決が噂になり、新しい相談者が増え、忙しくて手が回らないほど事務所は盛況だった。 何人も新しい職員が増え、飯田弁護士は事務所があった古いビルをビルごと買い取った。 家賃収入もでき外壁やビル内もきれいに改装されて、リニューアル飯田法律事務所へとかっこよく転身していた。 悠里がここに就職した事により、仕事が以前より増えることは間違いなく。河合さんが事務所の|主《ぬし》として頑張っている。 「私パートだから、そこんとこ分かって言ってるの?」 「でも~、飯田先生は、河合さんの言う事しかまともに聞いてくれないでしょ!」 近藤さんという受付事務の女の子に河合さんが言い負かされている姿は新鮮だった。 どうも飯田先生が汚いかっこで事務所にいるのが気にくわないらしい。 もともと身なりに気を遣わない庶民派を売りにしている先生だから、悠里としては今更なんだけど、確かに事務所もきれいになったんだから、ちょっとは弁護士らしい服装を心がけて欲しいものだ。 近藤さんの言い分も十分分かってはいるけれど、河合さんもそこまで手が回らないだろう。 「……そんなにダメ?」 飯田先生は近藤さんに尋ねている。 近藤さんはウンウンと何度も頷く。 「駄目なんですって、おっさんは小奇麗にしておかないと。量販店でいいから、吊るしのスーツ2.3着買ってきてください」 河合さんがここぞとばかりに飯田先生に告げた。 「そうです先生!悠里先生みたいにとか、そこまでの奇麗さは求めませんから」 「え~そうなの?俺の期待値低すぎないか?」 「部屋が上にあるんだから、朝の支度に時間がかかっても遅刻するとかないでしょう?贅沢なんだから」 「ですよねー。ドアトゥードアで5秒なんだから。私なんて毎朝2時間かけて髪の毛セットしているのに」 事務員の女性たちにうるさく言われて、飯田先生は「仕方ないなぁ」とぼやきながら、昼から紳士服屋に行くことになった。 「昼ご飯を外で食べるついでに行ってくるから、一緒についてきてくれる?」 飯田さんが誘ったのは一正君だった。 「ついでに一正君も2.3着先生に買ってもらいなさい。いつまでもリクスー着てたら新人が抜けないから」 河合さんは経費で落とせるかしら?と言いながら紳士服サイトを検索していた。 先生も河合さんも、亡くなった沢田さんの事は知っている。一正君をそれとなく見守っているんだなと思うと、悠里はちょっとほっこりした気持ちになった。 現在事務所は、3名の弁護士、司法書士1名、事務員が5名いる。悠里が入ると士業が5名になる。 新しい弁護士の中に、以前悠里たちとは敵対関係にあった片山弁護士がいた。 田中井氏側の弁護士であった銀縁メガネの彼が飯田法律事務所の弁護士として働いていたのに、悠里は驚いた。 まさかとは思ったが、飯田弁護士が引き抜いたみたいだ。 年俸は今までもらっていた半分にも満たないだろうに、彼は快く引き受けて、今までいた事務所をスッパリ退職したらしい。 田中井氏の会社の株を保有していたらしく、その分売り抜けたと言っていた。だから年俸はそんなに必要ないと。 彼がどういう心境で弁護士事務所を移ったのか、そう決めたのかは分からなかった。 自分の信念に従ったんだと飯田先生は言っていた。 やはり、やりたくない仕事をさせられていたんだと悠里は思った。 善良な人が悪に肩を貸すことに耐えられなかったんだろう。 悠里はΩの人からの相談を専門とするΩ專門法務担当となった。 それぞれ得意分野を決め、相続、離婚・不貞(不倫慰謝料)、家賃滞納(貸主側)、労働(残業代・解雇・退職代行・セクハラパワハラ)、労災(業務・通勤上の事故)、債務整理(個人の破産、再生、任意整理)。さまざまな相談を受けている。 新しい仲間たちは、飯田先生を尊敬して、彼の元で働きたいとやってきた同志たちだった。

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