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第5話
インターフォンを押すと、圭が引き戸から顔を覗かせた。大きな瞳をじっと向けられ、まるで怯えている小動物のようにこちらの様子を伺っている。
大柄な潮見の容姿は、無意識に圧力を与えていたのかもしれない。それに鋭い目つきは、睨まれていると勘違いされることが多い。
怯えさせてしまっては元も子もない。表情筋を総稼働させ、無理やり頬を吊り上げる。
「いつもありがとうございます。ピザガーデンです。ご注文の品をお届けにあがりました」
圭は観念したのか、ゆっくりと引き戸を全開した。中に入れ、ということなのだろうか。慣れない表情はすぐに限界を迎えそうだったが、そのまま玄関を潜った。
外見通り、古風な内装だった。木張り床で所々にへこみや傷がある。すぐ横には靴箱があり、傘や自転車の空気入れも置いてあり埃が溜まっている様子もなく、掃除も行き届いている。
確かにこれだけみたら、普通の家みたいだ。
圭はじっと潮見を見上げたまま、動こうとしない。あまりにも熱心な視線に、こちらがたじろいてしまう。視線をあっちこっちにと動かしていると、腕の痣が映った。シャツの隙間から覗く痣が、痛々しい。
昨日の記憶と照らし合わせ、真新しい痣がないことがわかる。
微妙な沈黙が流れる。圭は潮見を観察したままで、口を開く素振りすらない。奥田に頼まれた手前、世間話の一つや二つは振るべきだろう。
だが口下手のため、言葉が浮かんでこない。元々コミュニケーション能力の低い潮見には、他人との
距離の測り方がわからない。現国ですらまともに答えられない自分に、何ができるというのだ。
慣れない笑顔と頭をフル回転させて言葉を絞り出す。
「……毎日ピザばかりだけど、好きなのか?」
渾身の会話だと思ったが、圭は首を傾げている。もしかして日本語わからないのか。英語だとDo you like pizza ?
「わからない」
色素のない薄い唇から、吐息を零すような声だった。室内でみても圭の顔も青白く、体調がよくなさそうだ。立っているのも辛いのか靴箱に背中を預けている。
真冬だというのに圭は裸足だった。足先は真っ赤になっており、凍傷になりかねない。
廊下の奥を覗いてみても、暖房がついている気配は感じられない。開けっ放しの扉から冷気がひゅっと入ってきて、圭は身体を震わせた。この顔色の悪さは寒さからきているのかもしれない。
「寒くないのか」
「寒い」
「服は他に持ってないのか?」
「……ない」
嘘だろ、と零しそうになりぐっと堪えた。
そういえば一年中このシャツ一枚だ、と奥田は言っていた。家主に服装まで気にかけて貰えないのだろう。けれど毎日同じ時間に宅配ピザを頼んでいるということは、大切にされているのか。矛盾する二つの要因は、潮見をさらに混乱させる。
「じゃあこれ持ってろ」
ポケットに入っていたホッカイロを渡すと、目をきらきらと輝かせた。おもちゃを買ってもらった子どものように、底抜けの明るさが垣間見えた。
「ありがとう」
「ん」
ピザの箱を上がり框置きに置き踵を返すと、下駄箱の上に飾っている写真が目に入った。何となく眺めていると、二人の男が並んでいるものだった。背景はこの家の玄関前だろう。年月を感じる写真は少し色褪せ、男たちは学ランを着ていた。
一人は眼鏡をかけ口を一文字に結び難しい表情だが、もう一人はにっこりと笑い寄り添うように立っている。その顔かたちや雰囲気はいま目の前にいる少年を少し大人にさせたものだった。
こいつが圭の元になった男なのか。じゃあもう一人はここの家主だろうか。
二人は一見友人とも思えたが、それにしては距離が近すぎやしないか。肩がぶつかり指先が触れ合っているようにみえる。
もしかして、とあらぬ憶測が飛び交う。まさか同性同士で、と思わずにはいられない。ならば圭を近くに置く理由はわかるが、虐待をする意味がわからない。
単にクローンを嫌っているからではないのだろう。でなければ圭を造るわけがない。訳が分からなくなってきた。
「じゃあまた明日来るから」
ホッカイロを両手に挟み僅かに表情を緩めていた圭は、顔をあげた。捨てられた子犬のように、目が潤んでいる。
家主が帰ってきたら暴力を振るわれてしまうのかもしれない。この寂しい家で、助けを呼ぶことも助けられることもない閉じた世界で、圭は一人きりなのだ。
「明日も来る」
それだけを力強く残すと、圭は小さく頷い
てくれた。
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