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第7話
潮見が育った施設は角砂糖を何個も積み上げたような建物だった。積木で作った城のように歪な形をして、すべてを飲み込むように大口を開けている。
周りに木々しかない場所に建てられたせいか、その不気味さは何倍も増した。だから余計に、人目を避けるようにみえた。
自分は捨てられたのだ、と思っていた。
物心ついたときから両親はいなかったし、親戚だと名乗り上げる大人もいない。
施設で働いている職員に訊いても、曖昧な返ししかなく「ここではみんなが家族よ」という安っぽい言葉の裏に真実を突きつけるのが辛かったのだろう、と子どもなりに悟っていた。
同じように親のいない子どもたちは施設にたくさんいたが、なぜか男ばかりだった。年も近い少年たちが集まって、平穏に過ごせる訳がない。
喧嘩は日常茶飯事だったし、物を壊すことなんて、呼吸をするくらい当たり前だった。そんなわんぱく坊主たちを宥めるのに、職員たちは骨が折れたことだろう。
だがそれも年を重ねていく内に落ち着てきて、一番喧嘩をしていた者同士が一番仲良くしていた。お互いの黒い部分を曝け出しつくし、最後に残ったものは情という固い絆だった。
周りは楽しそうに談笑し、肩を組んでいる。
いつしか物が壊れる音は、笑い声に変わっていく。そんな群れに入ることもできず、潮見は遠くから傍観しているだけの子どもだった。
だがその中で一番心を許せる男がいた。悪戯ばかりして職員を困らせ、頭で考えるよりも先に行動して、失敗ばかりしている阿呆。
そんな彼を莫迦だと詰りながらも、心の中では羨ましい、と思っていた。直情的な言動は裏表がなく、いつもどこか達観している自分とは正反対だった。その眩しさに憧れていた
『優一朗はさ、頭で考え過ぎなんだよ』
山野辺はポテトチップスを頬張り、ばりばりと軽快な音で咀嚼する。もちろん食堂からくすねてきたものだ。
『ヤマは考えなさすぎ。そのお菓子だって、ばれたら田中さんにまた怒られる』
絶対自分は食べない、と意思表示するように背中を向けて読書に耽る。コンソメの匂いが鼻孔を擽り腹の音が鳴りそうになったが、ぐっと力を込めた。
『だって、ポテチ食べたい気分だったんだもん。しょうがないじゃん!』
『動物みたいだな』
食べて、寝て、起きて、また食べて、と繰り返す毎日。三大欲求、という単語が過る。いや山野辺の場合は二大欲求で十分だ。動物よりもっと野性的な思考回路。
この施設では明らかに娯楽類が少ない。テレビもインターネットもなければ、ゲーム機なんてもっての他。
外に出してもらえる時間も制限され、職員が必ず同伴する決まりがあった。
まるで監視されているような生活に、潮見は不思議でならなかった。施設はそういうものだろう、と思う時期もあったがここまで徹底されると疑いたくもなる。
学校、なんてものは施設の周りにはなかった。木と草と花しかないそこは、社会と隔絶されていた。人よりも鹿や熊の人口の方が多いかもしれない。
だから勉強をする、という考えは当時の潮見たちにはなかった。読み書きは教えられたが、あとは適当にやってくれと放り出される。
大抵の子どもたちは施設内を駆け回ったり外に出ることに余念がなかったが、潮見は図書室に籠もって読書ばかりしていた。
子ども向けの絵本や活字の少ない児童書。
新しい本が入ることもなく、永遠と同じものが同じ場所にあり続ける。もう何回同じものを読んだのか数えることも止めるほど、繰り返し読み込んでいた。
本の表紙をなぞり、潮見は山野辺に目を向けた。
『俺たちは騙されているんじゃないか』
『は?いきなり何を言い出すんだよ』
『だって変だと思わないか。俺たちはもうすぐ十八になるのに、勉強をしたことがない。足し算も引き算もわからない』
『それは生きていく上で必要ないからだろう?』
『いや、絶対におかしい。まるで、俺たちに何も知らせないようにしているみたいだ』
『変なことを言うな』
山野辺は大きな瞳をさらに広げ、まるで珍獣に出会ったかのように瞠目していた。
絶対におかしい、と確信めいたものが芽生えた。だがそれを裏付けるための材料が足りない。
潮見の思いつめた横顔を覗いても、山野辺は一定のリズムでポテトチップスを頬張っていた。たぶん、今わかってもらうことはできないだろう。
『明日の身体測定で体重が増えても知らないぞ』
『その点は大丈夫。これから走ってくるからよ!』
間食をしなければ走らなくて済むのに。
わざと大袈裟に肩を落としてみても、山野辺には通じない。そんな落ち込むなよと背中を叩かれた。痛い。
この施設では週に一回、身体測定をした。
身長、体重、視力、聴力など簡単なものだけれど。そんなに熱心にやるものなのか。一週間かそこらでは体重の変動はわずかにあっても、大きく変わることはない。自分たちの健康に気に掛け過ぎではないか。
一度糸が解れると、後につられて緩んでいく。浮かんだ疑問は次から次へと浮かび、いまあるこの世界が潮見には歪んで映っていた。
どうして今まで普通に過ごせてきたのかわからないくらい。
『そういえば来週、津村が出ていくって』
『そうか』
『あいつも十八だもんな。俺たちもあと少しだ』
嬉しそうな寂しそうな複雑な色を含ませて、山野辺はまたポテトチップスを齧る。山野辺と津村は一番喧嘩していたが、その分お互いのいいところも悪いところも知り尽くしている。
十八歳を迎えた次の日に施設を出る。山の麓に降り社会人として立派に働くためだ、と教えられたがそれも怪しい。
施設を出た者と連絡を取ることは固く禁じられ、向こうから会いに来ることもない。ましてや、出て
いった人間が再びこの施設に戻ってくることはなかった。だから今、誰が何をしているのかもわからない。
今まで家族のように育ってきたのに、十八を境に切り離せるわけがない。職員に尋ねても「ここのことは忘れて自立してもらわないと」と一蹴されてしまう。一切の交流も許さない態度も、潮見の不信感を煽っていった。
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