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第9話
圭に案内された部屋は居間だった。奥には台所があり、暖簾で区切られている。本来ならば畳が見える床は物が散乱し、足の踏み場もない。玄関とは打って変わって、物が溢れ返っている。
脱ぎっぱなしの服や雑誌や溜まったゴミが、あちこちに散らばっている。足の踏み場もなく、人が生活できるスペースではない。締め切った窓のせいで空気が淀み、むっとする食べ物の匂いが鼻についた。
圭は戸惑う素振りすらみせず、その中を器用に歩いていく。洋服の隙間をすいすい縫っていき、倣うように後に続く。
「これがクララとゲラだよ」
部屋の隅に置いてある水槽の中には、クラゲが二匹泳いでいた。ゆらゆらと左右に揺れながら水中散歩を楽しんでいる。
「クラゲか」
「ミズクラゲっていう種類だよ。ケイが欲しがってたんだって」
圭は水槽のガラスに指先で触れた。すると吸い寄せられるように二匹が近付いてくる。
「こっちがクララで、そっちがゲラ」
「わかるのか?」
「わかるよ。毎日みてるもの」
これ以外することがない、と言外に伝わってくる。一日中、潮見が来ることと、クラゲの世話以外やることがないのだろう。年齢的に学校に通うべきだが、秋人が外に出してくれないと言う。
ただ時間が過ぎるのをじっと待っているだけ。
「ケイは秋人の恋人だった。けれど交通事故で死んじゃって、僕を造った」
ゆっくりと語りだす圭に相槌もせずに聞き入った。
「でも僕はケイにはなれなかった。容姿は似てても、言動が違うんだって。その度に秋人は怒って僕を殴って――犯すんだ」
圭は目蓋を閉じ、苦痛に顔を歪めた。その裏になにを描いているのか痛いほど伝わってくる。
「秋人は本当は優しいよ。すぐにごめんねって言ってくれるし、クラゲも買ってくれた。ただ僕のことが見えないの」
みてもらえない、と長い睫毛が小刻みに震える。
秋人は死んだケイのことばかり想い続け、目の前にいる圭のことがみえないのだ。後ろに進もうともがき、息継ぎもできないまま溺れていく。
もう戻らない過去に、圭を道連れにして。
圭の気持ちも分かろうとしないで、残像ばかりを追い続ける男に腹が立った。
どうしてわかってやらないんだよ。
口一文字に結んだ男の顔が過る。一度愛した人を、同じ手で殴っているのかと思うと血が沸騰しそうだった。
潮見の中に眠っていた猛獣が牙を剥きだし不適に笑う。
暴力で片付けたいなら手を貸すぜ、と嘲笑う。まるで潮見を唆すように手をこまねいている。
「クラゲって脳がないんだよ。きっと狭い水槽でも、海でも違いがわからない。だから辛いとか悲しいとか考えられないんだろうな。 ――僕もそうなりたかった」
また明日ね、と圭は笑顔を向けた。その顔をただ黙ってみつめることしか、できなかった。
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