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第16話
「あれから七年か」
山野辺は感慨深げに紫煙を吐き出す。
白い煙が天井へと昇って消えていくまでを眺めていた。男らしい角張った頬に哀愁が漂わせ、灰皿の代わりの空き缶に灰を落とし、再び口につけた。
「おまえはどうやって逃げ出したんだよ」
「優一朗のことを職員たちが追いかけて行った隙に、俺も逃げ出した」
「相変わらず運がいいな」
「お互い様だよ」
テーブルに並んだおつまみを手に取り口に運ぶ。アルコールと煙が狭い室内を巡回し、鼻が可笑しくなりそうだ。一滴も酒を飲まない潮見を気に掛けることなく、山野辺は缶を空にしていく。
「でも俺が戻ったときには、誰もいなかった。きっともう誰も生きてない」
「俺たちは道具だったからな。政治家やヤクザのドナー用に造られたなんて、思い出すだけでも腹立たしい」
「そうだな」
潮見たちの生まれ育った施設はドナー用の施設だった。国から隠れドナーとして造られ、そのために生かされていた。
十八歳になると施設を出て、臓器移植をさせられる。心臓から肺、肝臓、胃まですべてを全部取り替える。無論ドナーは死に、移植された人間は若い内臓を手に入れ寿命が延びる。
その事実を知ったときの喪失感は、計り知れない。暗闇に真っ逆さまに突き落とされ、さらに上から蓋をされた気分だった。
あまり勉強を教えてもらえなかったこと、神経質なほどの健康診断など事実を知ったとき、きつく結んだ紐が解けていくように解き明かされていった。
自分たちの存在意義は、ただ他人を生かすだけの道具にすぎない。残酷なまでの現実は、潮見をどん底に叩き付けた。
もう生きている意味はない。そう思って街を徘徊しているとき奥田に拾われ、人間らしい生活を送れるようになった。
潮見と山野辺の脱出のせいで移植が早まり、施設にいた子どもたちはみんな死んだ。施設に戻ったときは、すべてが終わった後だった。
あの時逃げ出さなければ自分も死んでいた。けれど、逃げなかったらまだ他に道があったのかもしれない。悔やんでも悔やみきれない後悔は潮見を蝕む。
だからもう誰も失いたくない。
「で、あの坊主はなんだ?」
山野辺は部屋の隅で絵本を読んでいる圭に不思議そうな視線を向ける。
「お前の子どもにしてはでかいよな。まさか兄弟がいたとか」
「連れ去ってきたお姫様」
「は?」
訳が分からない、と山野辺は目を丸くした。
潮見と圭の関係を表わすには、どういう言葉が適切なのかわからない。
「こんばんは」
山野辺がにこやかに圭に挨拶をしたが、一瞥されただけで無視されてしまった。どうやら虫の居所が悪いらしい。山野辺の大声が邪魔で、読書に集中できないのだろうか。
圭の反応に気を悪くした様子もなく、山野辺は続けた。
「もしかして恋人か」
「違う。そういうのじゃない」
「別に優一朗が同性好きでも引きはしないぜ?」
「だから違うって」
恋人、という言葉に心臓が跳ねてしまいつい語気が荒くなってしまう。ただふざけて言っているだけなのに、どうしてか胸が忙しなくなる。
「そう言っても顔が赤いぞ」
「からかうなよ。「恋人」とかよくわかんねえし」
「ま、俺たちは経験値が明らかに足りないからな」
でも、と山野辺は付け足す。
「だからこそ最初に感じたものは大切にした方がいい。護りたいと思ったのかただの偽善か、それはおまえが決めることだ」
圭をみて最初に感じたものは、ただの同情だったのかもしれない。監禁され、暴力を受け、それでも健気に生きようとしていた。そのいじらしい姿が愛おしかった。
なにか話をするたびに嬉しかった。「しお」と呼ばれると心が弾んだ。圭の笑顔をみれるとつられて笑いそうになった。
読書に耽っている圭をみやると、こちらの会話も聞こえないのか絵本に集中している。
「生きる意味が、そろそろわかってきたんじゃないのか?」
「……わからない」
「なんだ。優一朗ってけっこう莫迦だったんだな」
ケラケラと甲高い笑い声をあげ、床に転がった。こんな単細胞に莫迦にされても、言い返す言葉が浮かばない。
「じゃあヒントをくれてやるよ。俺は彼女と出会って、自分の生きる意味をみつけた」
「は?それは惚気だろ」
「違うよ。もっと自分に素直になれってことだよ」
「益々わからない」
生きる意味なんて考えたこともなかった。
ただ、毎日がテンプレートのように過ぎていき、想いを馳せることなどなかった。――圭と出会うまで
「なんだ、あと一歩じゃん」
山野辺はプルタブを開け、缶を煽った。
「うるさい」
山野辺に背を向けて、小さな抵抗を試みたが胸の鼓動は激しくなっていく一方だった。
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