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ハハハ!ついに見つけたぞ 0.5

 年が明けた。  昼過ぎまで寝ているだろうと思っていた奏が朝早くから家の中を動き回っている。すっかり外出の支度を済ませた彼がもう一度リビングに戻って来た。 「初詣行ってくる」  僕は両足にギプスをして身動きがままならないままリビングのソファベッドに横たわり、布団に潜り込んだまま顔半分を出した。 「そうか、気をつけろよ」 「うん」 「食うもんがないんだ。帰りに何か買ってきてくれ」 「弁当でいい?」 「うん。あと牛乳も頼む」  芳川さんと別れた後、足の痛みを堪えながら駅から徒歩でホールに戻るしかなかった。なにせ舞台にあがった直後で現金も何も持ってないもんだからさ……  冷たい赤城下ろしの吹きすさぶ街中を「八甲田山死の彷徨」さながらのオーラと脂汗を噴出させながらとぼとぼと歩くフォーマルスーツ姿の中年男ってはたからどう見えたんだろうな?  もっとも年末だってのに、現役世代はほぼ車移動、子連れと年寄りは家の中だから三車線の国道脇の、歩行者と自転車マークに分けられた広い歩道を歩く通行人なんてほとんどいないんだけどさ。たまに自転車で通り過ぎる留学生風の若者以上に、自分がアウェイな人間に思える。 「どうか痛みに耐えてください、そのうち慣れます」  とか何とかどっかの国の行政改革だか元総理大臣だかが言っていたような……いや、そんな事言ってないか。  とにかくキャッシュカードと免許証入りの財布とスマホと部屋の鍵をホールにいるチギラさんに預けてあるので、駅から一時間くらいかけて執念で戻ってきた。  団の皆は後片づけを終えて「レセプション」という名の打ち上げに向かい、がらんとしたロビーには斎木さんと花田さん、そしてチギラさんが残っていた。 「藤崎く」「ふじs」「スナオさん!」  僕は彼らの姿を見るなりスライディング土下座で平謝りに謝ったのだが、その後の記憶はあいまいだーー少なくとも「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」とは誰も言わなかったと思う。  誰かの車で夜間救急に運ばれたこと、「捻挫かな?」程度に考えていた足の骨にひびが入っていると診断されたこと、骨折と寒さのせいで高熱を出していたらしく点滴を受けている間、姉と奏が呼び戻された事はうっすら覚えている。  数日入院したが、年末年始の人手不足の時期に突入したこともあり、姉と奏が交代で介助できると判断されて家に帰された。  合唱団は本番を終えてオフシーズンに入ってしまった。迷惑を掛けた団の人達に電話でお礼とお詫びだけでも言わなければ、せめてチギラさんにだけは連絡を……と思いながらずるずると日にちだけが過ぎてしまい、余計に連絡を取りづらくなっている。  七ヶ月あんなに頑張って、個人的な葛藤もありながらやり切った本番だったのに。チケットのことは置いておいても最後の最後に感動のステージを台無しにしてしまい迷惑をかけてしまったことが申し訳ない。  運転もできないため、バイトもずっと休み続けている。  搬送された時、足首があまりに腫れていて新調したばかりの革靴をカッターで切られてしまった事を返された残骸を見て思い出し、鬱状態に輪をかけた。  華々しく活躍して世の人に感動を与えたり、劇的に社会の役に立ったりもしない代わりにせめて、なるべく迷惑をかけずにマナー良く生きているだけが取り柄だったのに。  四十代の晩節をこれだけありとあらゆる人に迷惑をかけまくりで汚すなんて。いっそ、社会的にも物理的にも消え去ってしまいたいが、姉が東京に帰った後も残って世話を焼いてくれる奏の行く末を見届ける責任があると思い止まっているのだ。

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