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ハハハ!ついに見つけたぞ 0.8
僕はチギラさんに平謝りに謝った。
「いいんだ。スナオさんが一番大変だったんだから。これ、お見舞い」
よく見るとチギラさんはアルミの保温シートのバッグを手にしている。
「鍋、借してね」
チギラさんは当然のようにずかずかとキッチンまで侵入した。台所なんてかろうじてごみがまとめられて動線が確保されているだけの、さらにカオスな空間だってのに……
「いい、いい、自分でやるから」
チギラさんは僕の言葉に「はいはい」と生返事をすると着ていたコートを脱ぎ、昨日奏と鍋をやった残骸がそのままになっていたシンクを片づけ始めた。
「あの、本当に構わないで。あとでやるから」
「鍋を使いたいんだ。スナオさん、アカリを見ててくれる?」
「はい……」
チギラさんはイヤそうでも面倒くさそうでもなく、汎用中型ステンレス鍋の中に山盛りになっていた二人分の食器を、あっという間に片づけてくれた。
アカリちゃんはというと、ダウンの背中にお絵描き帳入りの見慣れたお出かけ用リュックを背負ったまま、初見の庭に踏み込もうかどうしようか迷っている地域猫のように警戒心満載で、部屋の入り口で立ち止まったままキョロキョロしている。
「廊下、寒いんじゃないの?」
アカリちゃんは頷いたが、男臭く散らかったリビングに入るよりは寒さをとりたいらしい。
「お絵描きしたいんだけど」
アカリちゃんは言った。
「この部屋の隣にもう一つ部屋があるよ。そこのドアは閉めて、部屋のドアを開けておいて」
狭い部屋なので、そうすると暖気が回るはずなのだ。アカリちゃんは「わかった」と答えて最近、ほとんど使ってない僕の部屋に入った。幸い、早めの大掃除をしてあってローテーブルの上だけは使えるように片付けてある。
「このひと、のんのんさん ?」
アカリちゃんは壁に寄せたテーブルの隅に、件の第九のレコードと一緒に立て掛けてある唯人さんの写真を指した。姉と奏が花や水を供えてくれている。
「そうだよ。僕の大切な人」
「ふうーん。テーブル貸してくれるかな?」
「お願いすれば大丈夫だよ」
アカリちゃんはリュックを降ろしてちょこんと座り、可愛らしい手を合わせた。唯人さんも微笑ましげに笑っている事だろう。
「あのね。アカリのママものんのんさんなんだよ」
僕らの会話を聞いていたチギラさんが手を拭きながらキッチンから出てきた。
「スナオさん。俺も唯人さんに挨拶させてもらっていいかな?」
「うん。ありがとうーーそう言えば僕も今日はまだだな」
チギラさんはコーヒをポットに淹れてきており、それをカップに移して供えてくれた。僕が唯人さんに美味しいコーヒーを淹れて供えてあげたいとずっと思っていたので、ありがたかったが少し驚いた。
僕は這って唯人さんの前に行き、チギラさんの隣で唯人さんに手を合わせたーー足を投げ出しているのはこの際、目をつぶってもらおう。
線香の代わりに香ばしい香りの漂う、遺影と形見だけの祭壇に、チギラさんは僕より丁寧にしばらく頭を下げていた。
「そうか、これが……」
チギラさんは巨匠・バーンスタイン指揮による伝説の第九演奏「自由への讃歌」のジャケットと、写真フォルダに入っていた中で一番好きな笑顔の唯人さんの写真を交互に眺めていた。
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