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第4話 夜明けの憂鬱

 ※微シリアス  日暮れ前に降り始めた雨は、日付を越えて一層雨足を増していた。  長雨に閉ざされた静かな夜だ。黒木は早めに店を閉めて帰宅した。  どんっ、とバルコニーで鈍い音がした。力任せに窓を叩く音が響く。窓ガラスに血糊の手形がべったりとこびり付いていた。   「おいおいおい……」    黒木は大慌てで窓辺へ駆け寄り、鍵を開けた。土足のまま部屋に押し入った男は、深々と被ったフードを脱ぐ。頭から血を流していた。   「今度は何をしくじった」 「……」 「おい、何とか言ったら――」    血に塗れた手が、黒木の首を掴んだ。それなりに太く逞しい首を、片手で容易に絞められる。黒木は苦痛に顔を歪めながら、努めて冷静に声を発した。   「落ち着け。大丈夫だ」 「……」    首を絞める手から力が抜けた。頸動脈を走る血流や、逸る鼓動、呼吸のリズムやなんかを確かめるように首筋を撫で、その手はやがて離れていった。  黒木は深く息を吐き、ネクタイを解いた。白いシャツの襟が真っ赤な血に染まっていた。  男は何も言わず、ただ黙って立っていた。意思も感情も欠落した澱んだ瞳は、何を語ることもない。   「何があった。怪我したのか?」 「……」 「まぁいい。とりあえずその血を――」 「子供がいた」    男は渇いた喉から声を絞り出した。  今夜の仕事は、それほど難しいものではなかった。男を一人殺すだけ。たったそれだけのはずだった。   「……子供がいたんだ」 「……それで、どうした」 「殺した」 「……そうか」 「……」 「それでいい」    黒木は煙草を一本銜えた。ライターを探してポケットに入れた手を、血塗れの手が掴んだ。振り払おうにもびくともしない。そのままソファの上へ組み敷かれた。   「おい。少し頭を冷やせ」 「……」 「アザミ」    暗澹とした虚ろな瞳に、鈍い光が宿る。   「まず靴を脱げ。うちを泥だらけにする気か」 「……」 「次に服を脱いで、熱いシャワーを浴びてこい。いいな?」 「……」    流れる血が頬を伝い、渇いた唇に滲みた。        シャワーから戻ったアザミは、幾分か冷静さを取り戻していた。血痕は跡形もなく消え去り、あれらが全て返り血だったのだと分かる。  黒木は、濃い目のコーヒーと温めたミルクで作ったカフェオレをテーブルに置いた。アザミはそれをゆっくりと飲み、疲れを丸ごと吐き出すように息をした。   「話せるか」 「……」 「悪かったな」 「あんたのせいじゃねぇよ」    アザミはソファに深く沈み、気怠げに天井を仰ぎ見た。   「運の悪いガキだ。そんだけのことだろ」 「……」    何も正義を気取りたいわけではあるまい。闇に生きることしかできない咎人であろうと、ほんの僅か感傷に浸る程度の人間らしさは残しているというだけだ。アザミのそれは、何かとても個人的な経験に基づいた反応のようにも思えたが、黒木の踏み入るべき領域ではない。   「処理は」 「ちゃんと済ませたさ。おかげで俺の取り分が減った」    アザミは喉の奥を低く鳴らして押し殺すように笑った。   「……なぁ、抱いてくれよ」    アザミは天井を仰いだまま呟く。回りくどい駆け引きはなしに、ストレートな言葉で誘う。   「めちゃくちゃにされてぇ」        結局のところ、アザミはそのつもりで黒木の元を訪れたのだろう。しかし、男を受け入れるべきその場所は、綺麗に洗われてはいたもののそれだけであり、つまるところ何の準備も施されてはいなかった。だというのに、アザミは事を急いて無理矢理ねじ込もうとする。   「バカ、やめろ。無駄に血を流すな」 「どうせすぐ治る」 「そういう問題じゃねぇだろ。ベッドで血を見たくはねぇんだよ」 「あんたがもたもたしてっから」 「分かったから。ほら、こっち来い、な」 「……」    アザミの躰が清潔なシーツに沈む。自ら進んで乗ってきたくせに、その表情は退屈そのものだ。これからセックスをしようという雰囲気ではない。   「……やめるか?」    黒木が思わず口にすると、アザミはゆっくり瞬きをした。   「なんで」 「本当はそんなにやる気じゃないんだろ」 「……だったら、ちんぽだけ貸せよ。俺一人で勝手に楽しむ」    突き放すように言って再び黒木の上へ跨ろうとするので、黒木は急いで体を起こした。宥めるようにアザミの肩を押さえ、ベッドに寝かせる。   「分かった、分かった。オレがするから」 「……ちゃんとしろよ」 「分かったよ、ちゃんと……酷くしてやる」    黒木はアザミの膝を持ち、大きく脚を開かせた。慎ましやかな蕾が、奥の方に縮こまっている。黒木は自身の指を舐り、綻ぶ前の固い蕾に突き立てた。   「っ……!」    アザミは喉を引き攣らせる。しかし文句の一つも言わない。   「さすがに狭いな」    唾液の滑りだけを頼りに二本の指を挿し入れて、穴の縁をぐりぐり擦った。強引に広げようとすれば、逆に締まるような反発力が働く。今この状態で息子を突っ込んだら、圧力でねじ切られそうだ。   「まぁでも、血は出てねぇからな。安心安心」    黒木があえて冗談めいた口調で言うと、アザミはじろりと黒木を睨んだ。遊んでるんじゃないとでも言いたげだ。   「そう怒るなよ。今挿れたらオレも痛い」    さすがに唾液だけでは心許なくて、ローションを注ぎ足しながら少しずつ緊張を解していった。  初めてした時よりも、アザミの躰は強張っている。この躰はこの行為を望んでいない。今のアザミに必要なものは、十分な休息と睡眠と、栄養のある食事だろう。  それでもアザミが行為を求めるのは、ある種の自傷行為なのだろうか。このまま後戻りできないところまで壊れてしまいたいという、危うい願望さえ垣間見える。  それとも、防衛本能の表れなのだろうか。精神的な痛みを上書きするために、肉体的な痛みを欲しているだけなのだろうか。いくら考えたところで、黒木にはアザミの本意が分かるはずもない。   「なぁっ、もう……入るだろ。挿れろよ」    確かに、二本の指がすんなり通れるくらいには緩んできた。多少狭いかもしれないが、挿入は可能であろう。   「なぁ……めちゃくちゃにしてくれるんだろ」    アザミは自ら尻たぶを押し広げ、赤らんだ果肉を見せつけた。しかし、その表情はやはりどこか物憂げである。媚びるようなことを口では言いながら、実際のところはまるで欲しがっていない。  黒木がうら若き少年であれば、アザミのこの拙い挑発にも乗ってやれたかもしれないが、残念ながら歳を食ってしまった今、そう易々とは思い通りになってやれない。アザミの本意がどうであれ、手軽なお仕置き棒扱いは納得いかないのだ。  黒木は、ピクリとも反応していないアザミのペニスを軽く握った。驚いて腰を引かれるが逃がさない。まだふにゃふにゃと柔らかいが、男にとっては一番分かりやすい性感帯である。何度か優しく揉んでやれば、若い躰はあっという間に熱を持った。   「てめっ……余計なことすんな。とっとと突っ込めよ」 「まぁ待て。酷くされたいんだろ?」 「あぁ? だからなに――」    アザミが続きの言葉を紡ぐことは叶わなかった。上向き始めたそれを、黒木が自身の口腔内へと招き入れたためである。アザミは裏返った声を漏らし、分かりやすく腰を跳ねた。   「なっ、にして……いみわかんねーこと、すんな……っ!」    アザミは、自分は黒木に口淫を施すくせに、自分がされる側に回ることは全く予想していなかったようだ。  黒木とて、自分がする側に回ることを想像したことはなかったが、やってみれば案外平気なものである。普段から男の尻に突っ込んでいるのだから、今更男性器をしゃぶるくらいどうということはない。   「あっ、くそ、なんでっ……!」 「お前だって女にするだろう」 「あぁっ……」    前を舐りながら後ろも刺激してやれば、アザミは大いに乱れた。愉悦に悶え、堪え切れずに嬌声を発し、そんな自分を恥じるような表情をする。  こんなにも感じやすくて、女を抱く時に支障はないのだろうか。黒木はどうでもいいことを考えた。たっぷりの唾液を纏わせて性器を吸い上げ、三本の指で順番に泣き所を叩いてやれば、アザミはとろとろと甘い蜜を溢れさせる。  女の体を準備するのと変わらない。複数の性感帯を丁寧に愛撫してやれば、その躰は強制的に男を受け入れる準備を始める。たとえ、アザミがそれほど乗り気でなくても。  黒木は空いた左手をアザミの腰へ滑らせた。しっとりと吸い付くようでいて、少し冷えているようにも感じた。括れた腰を這い、豊満な胸を撫でて山頂に辿り着き、気取った風につんと澄ました乳首を摘まみ上げた。   「んぁ゛! ッ……♡」    アザミの内腿が痙攣する。口に含んだモノが脈打つ。潤んだ果肉が歓喜に震える。   「あっ、ぁ、あッ……♡」    アザミはか細い喘ぎを漏らし、腰を浮かせて仰け反った。しかし、高みへと昇り詰める寸前で、黒木はすっぱりと手を引いた。アザミは訳が分からないという風に目を白黒させ、その不明瞭な視界に黒木の姿を捉えると、咎めるように睨み付けた。   「ざっけんな、このっ……スケベじじい!」 「スケベはどっちだよ。お前がめちゃくちゃにされたいとか言うから、協力してやってんだぞ」 「意味が違ぇんだよ」 「違わねぇよ。どうせするならオレだって良くなりてぇんだ」 「……酷くするっつった」 「ああ。これからちゃんとしてやるから」    黒木はアザミの膝を持ち上げて押さえ付け、あられもなく剥き出しになった淫穴に、反り立つ自身をゆっくりと沈めた。        カーテンの向こうが白み始めていた。しかし、アザミはいまだに一度も絶頂を迎えていない。断続的な快感を与えられ、絶頂の寸前までは連れていってもらえるものの、決定打となる一押しが足りず、汗を吸ったシーツの上で力なく悶えることしかできない。  一方、黒木もそろそろ限界が近かった。アザミを焦らすということは、自分自身をも焦らすということに他ならない。黒木がうら若き少年の身であったなら、既に四、五回は達していただろう。  アザミは、こう見えて案外分かりやすい反応を示す。「イキそう」「やだ」「だめ」と口走るのはもちろん、肉体的な反応も雄弁だ。  絶頂が近くなれば全身に力が入り、縋るように黒木にしがみつく。背中に思い切り爪を立て、力任せに引っ掻くと、それはもう絶頂の合図だ。そうなる一歩手前で、黒木はぴたりと動きを止める。  少しの休憩を挟んだ後、アザミが冷静さを取り戻す前に律動を再開する。アザミの一番よくなれる場所を巧みに外して突いてやれば、アザミは絶頂に至れないまま終わらない快楽に蹂躙されることとなる。  そんなことを繰り返したので、黒木の体は傷だらけであった。爪痕や引っ掻き傷はもちろん、噛まれたり蹴られたりした痕も残っている。しかし、アザミと比べれば幾分マシであろう。  上質な筋肉に覆われた美しい躰には、無数の鬱血痕が散らばっていた。胸や首元、腋の下まで。もちろん、逞しく広い背中にも。襟足を掻き分けた首筋に、肩甲骨の窪みにまで。まるで桜吹雪のように、花びらが散っている。  黒木は、アザミの尻をむんずと掴んだ。柔らかくなった尻たぶを押し広げ、欲深く蜜を零す果肉を露出させる。親指を軽くねじ込むと、撥ね除けるように腰が跳ねる。どろどろに溶けた穴を指でこじ開け、黒木はゆっくりと自身を沈める。   「んぉ゛っ♡ お゛♡ ぉ゛、あ゛♡」    もはや声としての形を成していない、獣の咆哮にも似た声を上げて、アザミはバリバリとシーツを掻き毟る。挿れただけでこの暴れようだが、黒木は容赦なく腰を打ち付ける。   「おぅ゛♡ お゛っ♡ ぁ゛っ、あ゛♡ ッ!」    暴れ狂う肢体をうつ伏せに押さえ付ける。豊満な乳がベッドの間で押し潰され、歪に形を変える。抽送の衝撃を受け止めて、ゴム鞠のような尻が波打つ。黒木の動きに応えるように、アザミは腰をくねらせる。  絶頂が見えてきた。アザミは駄々っ子のようにかぶりを振り、黒い髪を振り乱す。指先もつま先もシーツを掻いて、引き千切らん勢いだ。黒木を咥え込んだ肉壺はしきりに痙攣している。しかし黒木はもう手を引かない。アザミの一番好きなところを、執拗に突き続ける。   「ひっ♡ ぐっ♡ いくっ♡ いぐっ♡♡ もっ、ぃ゛――ッッ!!」    押さえ込んだ肢体が激しく震えた。ぐずぐずに蕩けた肉襞がぎゅうっと絡み付いて、奥へ奥へと引き込むように吸い上げる。  長い絶頂だった。うつ伏せの躰を仰向けに起こすと、シーツにべったりと白濁が飛んでいた。シーツだけでなく、アザミの引き締まった腹部も白濁でべったりと濡れていた。   「――ッひ!? あ゛っ? や゛ッ……!!」    一旦抜いたものを、黒木は再び押し込んだ。アザミの瞳がぐるりと上を向く。白目を剥き、涙や涎に汚れた酷い顔だ。それなのに、醜くはない。つくづく、面の良さは財産だ。なんて、黒木は明後日の方向に思考を巡らせた。そうしていないと、この生温い泥濘に溺れ切ってしまいそうだった。   「ひッ♡ ぐ♡ ぅう゛ぅッ♡♡♡」    アザミがどのタイミングで達しているのか、傍目にはもはや分からない。連続で何度もイッているのか、途切れることなくイキっぱなしなのか、アザミは無色透明の液体を断続的に噴き上げた。自分の撒き散らした潮を全身に浴びて、その刺激にさえアザミはビクビクと四肢を跳ねた。  約束通り、めちゃくちゃだ。目的を果たした黒木は、ようやく自身の欲望を解き放った。すっかり緩くなった奥の壁をこじ開けて、溜めに溜めた精液を注ぐ。その熱にも、アザミは深く感じ入る。力なくシーツの海を泳いでいた四肢を持ち上げて、黒木をそっと抱き寄せた。   「はッ♡ ぁ♡ んん♡♡」    熱い吐息を絡めて、唇が重なった。アザミのしなやかな舌がキスを貪る。そういえばキスをするのを忘れていた、と黒木は酸欠のぼんやりした頭で思った。苦しげに息を切らしながらキスに溺れるアザミがどうしようもなく可愛くて、黒木は少し怖くなった。        十分に満足するまでキスを堪能したアザミは、突然電池が切れたように眠りについた。仄かに火照った頬は健康的で、寝息も平穏そのものである。黒木もまた、一人で後始末を済ませた後、アザミの隣で眠りについた。  しかし、ようやくうとうとし始めたところで、妙な物音に起こされた。手負いの獣が唸るような声だ。それがアザミのものだと理解するのに時間がかかった。  痛みを上書きするものは必ずしも痛みでなくてもいい。快楽で痛みを上書きしたっていいじゃないか。そっちの方が余程健全だ。そう思って、黒木はあんな風にアザミを抱いたが、しかし、その程度で掻き消せるような痛みではなかったのかもしれない。  額に冷たい汗を浮かべ、顔を歪めて歯を食い縛る。濡れた睫毛が震えているが、瞼はきつく閉じられたままだ。アザミは、何か酷く悪い夢を見ているらしい。子供を殺した感覚を反芻しているのか、それとも、もっともっと古い記憶を追体験しているのだろうか。  黒木はアザミの頭を撫でた。こんなことで痛みが和らぐはずもないが、何もせずにぼさっと見ているわけにもいくまい。  そうしてしばらく撫でていると、アザミは寝返りを打って黒木にぴたりと寄り添った。閉ざされた濃い睫毛の隙間から、とろりと透明な雫が零れた。それは眦を伝って流れ落ち、黒木の服に小さな染みを残した。  昼近くになって目を覚ますと、アザミの姿は既になく、涙の痕も消えていた。

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