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3年目 町中華、ラ・フランス大福(2)

 注文の皿が揃う前に、瓶ビールが2本とも空になった。今橋さんは中瓶をもう1本、(めぐる)は紹興酒のハイボールを追加した。今橋さんは出てきた2本目のビールをグラスに注ぎ、巡は今橋さんの唇がグラスに触れて、その口の中にビールが消えていくのを盗み見た。 「僕の顔なんかついてますか」 「いえ、そんなことは」  恋人どうしになったからと言って、飲み仲間であって散歩仲間でもあることに代わりはなかった。巡が想像するカップルらしい場所に気合を入れて足を運んだこともない。ただ、マサに誘うようになったのは、今橋さんが巡の家に泊まるのが当たり前になってからだった。何度目かの朝にふと、この人を連れてあの店に行こうと思った。  ザーサイと棒々鶏小とにんにく餃子と青椒肉絲と麻婆茄子と鶏の唐揚げでは満腹にならなかったので、巡は〆の「雅ラーメン」420円を頼んだ。今橋さんは、僕はごま団子と言った。  今橋さんはごま団子を小さく切って口に運び、その後にビールを飲む動きを繰り返しながら、実はと言い出した。 「巡さんさえよければ最後に寄りたいところがありまして。駅前の和菓子屋わかりますか。福光屋さん」 「ありましたっけ和菓子屋なんて」 「ありました、駅のこっち側に。あの小さい、季節のフルーツ大福をやっているところ」  フルーツ大福と言われてうっすらと店構えが浮かんできたものの、どこにあるどんな名前の店かははっきりとわからなかった。とりあえず今橋さんが行きたいのであればいいと思ってうなずいた。  餅と大福の福光屋は、なるほど駅の改札からほど近くにあった。何度も通ったことのある道なのに、看板すらろくに見ていなかった。「季節のフルーツ大福 各種あり〼」の幟のほうが目立つので、そちらだけが記憶にあったらしい。  今橋さんは店に入るなりまっすぐにカウンターに進み、店員さんに向かって、ラ・フランス大福2つイートインでと言った。なるほど奥に小さなイートインスペースがある。和菓子は好きなのだけれど、自分で買うことはほとんどないので、買った大福をその場で食べるという考えがなかった。  今橋さんがキャッシュレスで支払いを済ませてしまったので、巡は財布を出すのをやめた。店員さんが、黒塗りの盆の上に大福の皿2つと温かいお茶の椀を2つ並べた。今橋さんはそれを受け取って、さあさあと言った。巡は黙ってついていき、イートインスペースの小さな椅子に座った。 「前々からこちらのお菓子を食べてみたいと思っていたんです。昨今フルーツ大福はブームから定番に移行した感がありますが、ラ・フランス大福というのは僕はまだ食べたことがないのでちょうどいいです」 「俺、いちご大福くらいしか食べたことないです」 「それでしたらよりいっそうお召し上がりになったほうがいい」  今橋さんが菓子切で大福を半分にしたので、巡も同じようにやってみた。断面を見ると白あんと、それとは少し違った色のなにかが入っているのがわかる。いちご大福と違って、そのなにかが何なのかは見た目ではよくわからない。もう半分に切って口に運んだ。まず華やかな香りが鼻にのぼり、その後に白あんの柔らかい甘み、とろりとした果汁の味が続く。同じタイミングで一口目を食べた今橋さんの目尻が、いつもよりずっと下まで下がるのを見た。 「おいしいです、おいしくないですか巡さん」 「おいしいです、ほんとです」 「はい、お顔を見るとわかります」  今橋さんの視線が、大福ではなく自分の方に向かっていることに巡は気付いた。 「巡さん、僕と比べると甘いものはあまりたくさんお食べになりませんが、嫌いじゃあないでしょう。だからここ、ご一緒したかったんですよ」  今橋さんはそう言ってお茶をひと口飲んだ。巡もつられて茶碗に口をつけた。休みの午後に和菓子屋で大福を食べるなんて、今橋さんと付き合わなければ一生しなかったかもしれないと思った。  店を出ると雲が分厚くなっていた。町じゅうが薄暗くなったように思った。巡は身震いした。 「ほら、だから冷えるって言ったじゃないですか」  今橋さんは、巡のコートのボタンを下から順に留め始めた。巡は上から順に留めていって、胸のところで指と指がぶつかった。巡は言った。 「来週も会えますか」 「もちろんです。どこ行きましょうか」  もう随分長いあいだ回転寿司で飲んでいないし、行こうと言っていた植物園にも行っていないし山のロープウェイにも乗っていない。今橋さんとのスタンプカードはまだまだ空きが目立つ。今夜また連絡しますと巡は言った。

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