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第6章 それでも前を向いて歩くために……1

   *  その後、ぼくはエリナが提案した不審者に誤解されてもしょうがない格好をして、彼女が営む店の前に立っていた。  外にいても店内にいる客たちのにぎやかな声と、どんちゃん騒ぎをしている音が聞こえる。店内の明かりがサングラスの隙間から差し込む。  ここに来たのは間違いではないだろうか? なんだか自分が場違いに思える。  それでも入口の前を、おこぼれを求める野良猫のようにうろつく。かれこれ十五分もそんなことをしていた。  エリナの店で夕食や晩酌を望む客たちが、訝しげな目つきででじろじろとぼくを見て、店内へと足を運ぶ。ほとんどはスーツに身を包んだ人間や、オフィススタイル、オフィスカジュアルな服をまとった人間だ。  しかし中には派手な容貌をした人間たちも出入りをする。そのたびにSNSで絡んできた女たちかと思い、心臓が大きな音を立て全身に変な汗をかく。  やっぱり帰ろう。こんな格好をして店の前にいたら営業妨害だ。エリナに迷惑をかける。  それに……どうせ何を食べても、飲んでも味なんかわからないんだ。食欲だってない。  客のだれかがよかれと思って警察を呼んだり、通りすがりの警官に職質されてもめんどくさいし。  踵を返そうとしたらグイと肩を摑まれて身を強張らせる。 「せっかくここまで来たのに、帰ろうとするなよ。ていうか、ずいぶんとひどい格好をしてるな、晃嗣」  ゲンナリした顔をしている康成だった。 「康成か。ちょっと驚かせないでよ」 「悪い、頭が回らなかった」 「……よく、ぼくだってわかったね」 「だって背格好とか動作が、そのまま晃嗣だし。エリナからも『店の前で不審者がいたら、アッキーだから。拾ってきて』って言われたんだ」 「何それ? ぼく、迷子になった猫や犬じゃないんだけど」と眉間にしわを寄せる。 「怒るなって、それより早く行こうぜ」  彼の後に続いて店舗に入る。玄関で靴を脱ぎ、靴棚に並べる。黒いエプロンをしたアルバイトの店員が挨拶をして、個室に通される。 「遅かったじゃない、あなたたち」  そこにはオリンポスのマスターと、バーテンがいた。いつもと違い、ラフな格好をしているふたりの姿を目にして、なんでと疑問に思っていたのが顔に出ていたのだろうか? バーテンが湯呑み茶碗に入ったお茶を口にしながら「エリナの店の飯は上手いからな。定休日にはこうして、マスターと来てんだよ」とメニュー表に目線を落とす。 「それはわかったけど、なんでマスターたちがいるわけ?」 「決まっているでしょ、お馬鹿なことをしてばっかりいる晃くんに助言するためよ」  黒い机の上で両肘をつき、細長い指を組み、シャープな顎先を手の上に乗せているマスターが流し目をする。  慣れないサングラスと帽子、マスクを外して座布団の上であぐらをかく。 「助言?」 「そうよ、老婆心ながらね。あんた目も当てられない状態になってるじゃない。コータくんのこととか、諸々のせいでね」  図星を突かれ、俯いていれば「顔を上げなさいよ」とキツイ口調で叱られる。 「起きちゃったことは、もうどうしようもないのよ。さっさと頭を切り替えて、これから先のことを考えなさい」 「……簡単に言わないでよ、マスター。それができれば苦労しない」 「馬鹿ね。命が助かっただけでも、運がよかったのよ。あんたには、やるべきことが山のようにあるんでしょうが」 「言われなくてもわかってるよ」  アルバイトの店員が一言断って、室内にやってくる。ぼくと康成の前にそっと湯呑みを置いた。  するとマスターとバーテンが注文を始め、康成も「いつもの」と喋る。  アルバイトをやっている高校生くらいの青年に声を掛けられ、どうしようと逡巡していると、マスターが勝手にポンポンと頼んでしまった。  マスターが頼んだものをキャンセルしようと思い、口を開こうとしたところで康成に「お茶でも飲めよ」と湯呑みを差し出される。  注文書の内容を復唱し終えた青年が襖を閉じて去っていくのを茫然と眺める。 「ちょっと、何してるわけ? ぼく、食欲ないんだけど」 「無料で料亭のご飯を食べられるのよ。こんなことそうないんだから、何か口にしなさいよ」 「そんなこと言われても」  味なんてわからないよと反論しようとしたところで、バーテンからデコピンを食らう。 「そんなガリガリに痩せ細って、今にもぶっ倒れそうな状態で食わねえだと? マジで死ぬ気かよ」 「そういうわけじゃないけど」 「おまえ、頭ばっか動かして、変にこねくり回し過ぎなんだよ。少しはざっくばらんに考えろよ」  バーテンのムカツク言葉にカチンと来ていれば、マスターの「あんたは大ざっぱすぎよ」というツッコミが入る。  なんなのこれ? と思いながら、氷の入った茶色の液体を口にして、喉を潤す。 「マスター、(まき)()さん。そろそろ本題に入らないと」  康成の口にした「本題」という言葉に目をすがめる。 「ええ、そうね。ごめんなさい、あたしったら」とマスターが薄紫色の口紅が塗られた口元に弧を描く。 「で、本題って?」  問いかければ「はい」と三つ折り型のパンフレットをマスターから渡される。  湯のみ茶碗を置いてパンフレットを開き、書かれている内容にざっと目を通す。

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