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第6章 それでも前を向いて歩くために……2

「『ガニュメデス』?」 「“あなたと相性100パーセントのパートナーに絶対出会えるマッチングアプリ”よ」 「そんなの見ればわかるよ。つまり、これに加入しろってこと? そんな話をするために、わざわざここまで呼び出したわけなの」 「そうよ、あたしの友だちが姉妹で運営しているのよ。今年で三年になるとか言ってたわね」 「要するにステマってわけ?」  うさん臭い話に辟易しながら、パンフレットを机の上に置く。  マッチングアプリがどういうものなんか、わかっている。一夜の遊びの相手を見つける出会い系サイトのようなツールだ。  ぼくがソウジに出会うまでにSNSでやっていたことと変わらない。  助けたいなんて、やっぱり口からでまかせ。みんな、内心ではぼくが愚かなことをして苦しんでいるのを、嘲笑っているんだ。  真面目な顔をして、平然と嘘をつく彼らに失笑する。 「つまり航大とのことを忘れるために、相性のよさそうな相手を見つけてヤレってこと? 悪いけど、今はそんな気分になれな――」 「おい、中身をちゃんと読めよ。文句はその後に言え」とバーテンに咎められ、嫌気が差す。 「なんで? こんなものを読んでも時間の無駄にしかならないでしょ」 「てめえ……その口の聞き方、いい加減にしろよ!」  両手を机につき、バーテンが勢いよく席を立ったかと思うと胸ぐらを摑んできた。こめかみに青筋を立てて眼光鋭く睨みつけてくる。 「牧雄さん、落ち着いて……晃嗣、今すぐ謝れって!」  焦り声の康成が仲裁に入ってくるが、ぼくは謝るつもりなんて毛頭ない。バーテンを睨み返していれば「そうね。今のあんたにはどんな言葉も、どんな文章も役に立たないわね」とマスターのやけに冷めた声がする。  バーテンが舌打ちをして、ぼくの胸ぐらを摑んでいた手を放し、ドカリと椅子に座り直した。  なんだか含みのあるマスターの言い方が癇に障る。 「どういうこと?」 「そのままの意味よ。今のあんたは自分に都合のいい言葉しか聞かない状態になっている。エリナのやさしい言葉には甘えて、あたしたちの助言には耳を貸そうとしない」 「べつにそんなんじゃないよ――」 「だったら、再度そのパンフレットに目を通してよく読みなさいよ。ただ悲劇のヒロインを演じたくてウジウジ悩み続けたいのか、それとも死ぬまでコータくんだけを思い続ける覚悟があるのなら、あたしたちだってこれ以上は何も言わないわ」  突き放すようなマスターの物言いに苛つく。同時に自分の心を理解してもらえいないことに、悲しくなる。  このまま腹を立てた状態でアパートに帰れば、きっと楽だ。  マスターやエリナたちと縁を切って、他人に戻るだけ。  でも、逃げたところで、もうにっちもさっちもいかないことを理解している。逃げ場所なんてどこにもない。  喋ることがなんだか億劫になり、無言を貫いた。膝に置いた両手を眺めて黙る。そんなことをしてもいたずらに時間が過ぎていくだけ。何も変わらない。  だけど頭の中が真っ白で、それ以外に自分ができることがわからなかった。  三人はその場を離れるでもなく沈黙していた。  しばらくするとアルバイトの店員が料理が運びに来た。  揚げたてのサクサクしてそうな天ぷらや、新鮮な刺し身、出汁の食欲をそそる香りのする味噌汁、湯気のたったご飯や、冷たそうな蕎麦が次々と机の上に並べられていく。  ぼくの前には茶碗蒸しと小盛りのご飯と味噌汁、そしてホクホクとしていそうなじゃがいもや、にんじんの入った肉じゃがの小鉢が置かれた。  マスターとバーテンは「いただきます」と挨拶をして黙々と食べ始める。 「なあ、晃嗣。おまえは航大くんのことを、どうにかして忘れたかったんじゃないのか?」  唐突に隣に座っていた康成に声を掛けられる。 「康成……?」 「もしも航大くんと誤って寝るようなことがなければ、誰彼構わず寝るようなことをしなかった。今みたいにボロボロの状態になることも、きっとなかったんだ。でも、航大くんはおまえでなく芝谷さんを選んだ。それなのに、おまえをものみたいに抱いて、友だちのままでいてほしいなんて好き勝手なことを言われたから追いつめ……」 「だったら、どうしたらいいの? ぼくだって、みんなみたいに普通の恋愛をしたいよ。でも、できないよ。だれかとただ話をしたり、デートをして、手をつないだことなんて一度もない。身体をつなげたり、取引をして偽物の恋人やセフレになったことしか――」 「だから、だれかと恋人関係になってさっさと航大くんのことを忘れろ――ってマスターは言ってるんだよ」  ざる蕎麦をズズッとすすり終えたバーテンが、ぼくのほうを見ずに口を開いた。彼はえび天を口の中に放り込んで「やっぱ、うめえな。エリナの店の飯は」と首を何度も縦に振っている。 「マッチングアプリだってね、いろんな内容のものがあるのよ。遊びの恋愛やセックスだけの関係を目的とするものだけじゃないわ。『“普通の恋愛”をしたい』『ずっと一緒にいられる恋人がほしい』『生涯のパートナーを得たい』って真剣に考えている人たちの向けのものがね」

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