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第7章 あなただけのストーリー1
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「来ちゃったよ……」
ビルのフロア欄をチラと見て、ため息をつく。
ガニュメデスのメルマガは「普通のマッチングアプリで疲れしまったあなたは、今すぐ天 ヶ 原 結婚相談所へいらしてください!」という内容だった。そこには、恋愛をしたことがない恋愛初心者でガニュメデスを上手く使いこなせない人でも、気軽に相談OKと書かれていた。
電話、メール、チャット、オンライン、対面から相談方法を選べる。当初ぼくはメールでの相談をしようと思っていた。そのはずなのに、何をトチ狂ったのか気がつけば、対面相談を予約していた。誤って対面相談を予約したんじゃない。
なぜか結婚相談所の人と実際に会って、相談に乗ってもらいたいと思ってしまったのだ。
予約キャンセルや内容変更という手だってあった。バイトや勉強に勤しんでいたけど、すっごく忙しくて疲れ果てていたわけでもない。ただ、なんとなくそのままにしてしまったのだ。
そして当日を迎えてしまった。ドタキャンすればよかったのに、ぼくの手はスマホの地図アプリを起動しているし、足は結婚相談所に向かって進んでいったのだ。
――公式サイトとか、就活サイトの口コミを見たからヤバい企業ではないと思う。マスターの友だちも創立メンバーにいるくらいだし。
でも、ゲイでベータの男が来るってありなの? なくない。ていうか、マッチングアプリとか結婚相談所もアルファとオメガがメイン顧客なんじゃない?
やっぱり帰ろうかな。
ガラスのドアのところでウロウロしていれば、中の受付の人がやってくる。
いかにも大人しそうな女性が朗らかな笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ。どうしましたか? もしかして、こちらでご入会をお考えでしたら――」
「あの、違います。本日15:30から対面での相談予約をしている村山です」
「これは失礼いたしました。村山様、どうぞ中へお入りください」
そうしてオフホワイトと淡いグリーン、ブラウンで調和の取れた清潔感のあるオフィス内へと通される。
職員に挨拶を返し、簡易待合所となっているソファへと目を向ける。
オメガとベータらしき男性が五、六人、座っていた。
年齢は、10代後半から30代後半までといったところだろうか? 身長も、顔立ちも、身にまとっている服にかけている値段もまったく異なっている。
スマホの画面をタップしていたり、小説か何かに目線を落としていたりと思い思いに過ごしている。
「恐れ入りますが村山様。私、受付の森 川 と申します。本日は村山様は初回となりますので、まずは本人確認をさせていただきます。免許証や保険証といった身分証をご提示いただけますか?」
「あっ、免許証を持っています。少し待ってください」
そうしてぼくは航大と一緒に取った免許証をカバンから取り出した。
「会員登録されている情報と照会しますので少々お待ちくださいませ。お待ちいただいている間、お手数ですが、こちらの書類の太枠にある必須事項をご記入いただけますか」
「わかりました」
内心ドキドキしているのに、平静を装って卓上にあるペンを取る。紙の上を走らせながら、予測不能な今後について思い馳せた。
「――ありがとうございました。身分証の返却となります。書類をご記入いただき恐縮です。それでは当社AIによるガニュメデスに登録されたデータをもとに、村山様の恋をサポートする担当の者を決め、お呼びいたします。あちらのソファで少々お待ちくださいませ」
「はい」
男たちのいたところで同じように座り、自分の名前が呼ばれるのを待っていた。
「村山様、お待たせいたしました。こちらへどうぞ」
そうして、こぢんまりとした個室へ通され、椅子に座っているように森川さんに勧められた。
何を話せばいいのか、どこまで話せばいいのか――を考える。ガニュメデスを使っているのに、いい人と出会えない。むしろ、どんどん疲れてきている自分は変なのだろうか? やっぱり、まともな家庭で育っていないぼくには、普通に恋愛をすることなんて無理なのではないか? と頭の中でいやな考えがグルグル巡る。
ガチャリとドアが開く音がして、とっさにぼくは立ち上がった。
パンツスタイルでハイヒールを履いた中性的な人物が入ってきた。
女か、男かわからない。
ただ、背がスッと高くて、スタイルがいい。身長は180センチメートル近く、顔は正統派の王子様といったイケメンだ。
「大変お待たせいたしました、村山様。本日はご足労いただき、誠にありがとうございます。今後、村山様の担当をさせていただきます、有 島 と申します。よろしくお願いいたします」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
「どうぞお掛けください」と有島さんに促され、再度椅子に腰掛けた。「さっそくですが村山様の現在の身辺状況のご確認と、ご予約の際にメールでチェックしていただいたお悩み内容である“なかなかいい人と巡り会えない”ということについて、お話をさせていただきます。現在、村山様は大学三年生ですね」
「はい」
「それでは来年、就活をなされるご予定で、今のうちに将来のパートナーになる恋人を見つけたいとお思いになり、弊社をご利用いただいた形でしょうか?」
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