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第8章 菫1
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保湿クリームを塗り終え、裸のままの状態で洗面所の前に立つ。マッシュヘアにしているけどパーマが入っているから、ちゃんと髪を乾かさないと翌朝アフロになってしまうのだ(縮毛矯正は時間がかかるから、かけてない)。何より大学受験のときに何ヶ月も髪を切らずにいて、合格後美容師のお姉さんに「長い髪もお似合いですよ」と毛先を揃えるだけにしてもらったら、授業初日に異性愛者の男に女と間違えられた。「紛らわしい髪型してんじゃねえよ!」と罵られて以来、絶対に髪を長くしないと決めた。
髪を乾かし終えて、鏡の中にいる自分を見つめる。
黒髪に青い目、白い肌をしている男がいる。明日は初デート兼顔合わせの日だというのに、ずいぶんと浮かない顔をしている。
パット見では男か、女か判然としない顔立ちをしている。しかしながら目鼻立ちはくっきりしていないし、際立って美しい顔立ちというわけでもない。美形や美少年、イケメン、美人という言葉とは無縁だろう。雰囲気もかわいいとか、親しみをもてるとか、かっこいいといった印象を人に与えるものではない。
身体は趣味の水泳のおかげで無駄な贅肉がついておらず、引き締まっている。身体は細く、筋肉がうっすらとついている。だが、手足が長くスタイルがいいわけでもない。ペニスだって、上級オメガたちのギリシャの彫刻像のように美しい性器とは異なる。標準サイズで、勃起すれば色も、形もグロくなる。フェラチオはを「下手くそ!」と罵られたこともある。アナルだって名器ではない。
もちろんガニュメデスでは初日のデートから交際スタートまでの期間は性的接触ご法度だ。もしも、そんなことをしていると発覚したら強制退会で出禁扱いになる。
ぼくも、そういう目的で北 野 さんと会うわけではないのだ。彼ともエリナたちと話すように気兼ねなく話せる関係になりたいう。そして彼がぼくのことを少しでも気に入ってくれて、ぼくももっと彼と話をしたいと思えたら交際を始める。恋人となって過ごす時間を増やして、ゆくゆくは人生のパートナーになれたらいいなと思う。
でも彼は性的接触を伴わないパートナーを求めているグループに登録していない。
つまり仮交際・真剣交際をスタートしてから肉体関係をもつ可能性が高いのだ。
だけどぼくはソウジたちとの一件があってから、人に身体に触れられるのが少し怖くなってしまっている。多分手をつないだり、ハグや触れるだけのキスですら無理になっている。
有島さんは「北野さんは古風で誠実な方ですから、もし交際がスタートしても、いきなり性的接触をという話しにはなりませんよ」と念を押してくれた。
デートの打ち合わせで初めて彼と電話したとき彼に限ってそういうことはないと思うけど、身体を求められても……応えられない。そしたら交際は白紙になっていまうのではないだろうか?
親からは学校のテストの点や、模試の偏差値といった数字で評価されて必要価値が決まった。点数が高ければ必要とされ、低ければ必要とされない。
そしてゲイやバイである男たちからは、セックスのしやすい人間かどうかで評価され、選ばれてきた。
そんなぼくは、どうしても人間を数字や肩書で測ろうとしてしまう。そしてセックスができるかどうかという基準で、人をジャッジするクセもついてしまった。それは自分自身にも該当する。
顔や身体つきがよくないなら性格でカバーと言いたいところだが、多くの人間から好かれる性格をしていない。めんどくさい性格をした人間であることを重々承知している。かといって話術に長けているわけでもない、頭だってずば抜けていいわけではない。かといってセックスはガニュメデスの規約違反になるだけでなく、ぼく自身の精神状態からいっても禁じ手だ。
こんな状態で北野さんと本当にうまくいくのか、不安しかない。
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――初日の面談を終えてから、ぼくは有島さんにプロフィールの書き方を教わった。その後も恋愛初心者であるぼくは予約を取り、相談にのってもらった。
マッチングアプリではどういう相手がマッチングしやすいか、どういった人物に気をつけたり、警戒したほうがいいかを教わった。そしてメッセージの使い方やデートで気をつけたことなどについての話を聴いた。
その間も恋愛に関する書籍やネットの記事、ガニュメデスのメルマガは熱心に読んでいた。マスターやエリナ、康成たちから、彼らの経験した恋愛についてや相手とのメッセージのやりとり、デートについての話を参考にした。
そして七回目の相談のときに有島さんから北野さんのことを紹介してもらったのだ。
「お待ちしておりました、村山様。その後、ガニュメデスのほうはいかがですか?」
「あまり……という感じですね。以前のように下手な鉄砲も数撃てば当たるということはことはしていません。有島さんのアドバイスをもとに趣味の合うかどうかを優先して、メッセージを送っています。ただ、やはり初デートのときに相手の方にしっくり来なかったり、逆に相手の方がぼくでは合わないという形で終わってしまうことが多いです」
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