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第8章 菫2

 苦笑していたら、有島さんが黄土色のファイルを机の真ん中に置いた。なんだろうと首を傾げていれば、有島さんがえんじ色の薄い唇を開き、「じつは」と切り出した。「私からこの方なら村山様と相性がよい方がおります。ご紹介したいと思うのですが、いかがでしょうか?」  有島さんに相談にのってもらうことはあっても、パートナーになりそうな相手を紹介されたことがなかったぼくは、面食らった。  ガニュメデスのアプリをやっている人間のところにAIが「この人となら相性がよさそう!」と相性の高い相手を紹介してくれる。しかしアプリのみだと相手の本名や細かいプロフィールをすべて知ることは不可能だ。  個人情報の流出防止やセキュリティ対策、不審な動きをするユーザーがいないように監視が行われている。それでも、ぼくが最初被害に遭ったときのように、パートナーさがしが目的でない連中が網の目をくぐってくる。中にはユーザーに罠を仕掛け、金銭を騙し取ったり、危ない商法に勧誘する連中もいる。  だからユーザーの半数近くはアプリを使用するだけでなく、さらに天ヶ原結婚相談所やガニュメデスと提携を組んでいる各県の結婚相談所を訪れたり、オンラインや電話、メール相談を行う。とくに結婚相談所でプラスアルファの手続きを済ませれば、相談員が長年の経験、知恵、勘をもとにして相性のよさそうな相手を紹介してくれるのだ。マッチングアプリだけでなく結婚相談所を使う会員の多くは真剣交際を考えている。中には大金をはたいて相談員やカウンセラーを冷やかしをしたり、セフレ・浮気相手を見つけるために使おうとする人間もいるもののマッチングアプリをなんの情報もない中で闇雲に使うよりも安全だ。  何より相談員同士、カウンセラー同士で会員を紹介するので、まったくゼロからのスタートじゃない。電子機器の画面や紙面では絶対に得られない、人と人が接触したときの情報が交換される。 「どんな方ですか?」 「そうですね……お相手は村山様よりも二歳年上の方です。北海道出身で、就職を機に東京へ出てこられて、現在は造園業をされています。お休みの日も草花や野菜を育てているそうです。担当者いわく今どきめずらしいくらいに古風な方で、勤務態度は真面目そのもの。礼儀正しく誠実な人柄をしているそうです。趣味がお料理で好きなものが和食という点、休日はのんびりパートナーと過ごしたい点、何よりパートナーの方と温かい家庭を築きたいと強く望まれている点が村山様と合致しました。それらを総合的に考慮していった上でご紹介したいなと思った次第です」  造園業をしている人? 造園業なんてまったく縁もゆかりもない職業だ。  両親はぼくが生まれたときからデスクワークをしていた。  マンションの上層階で育ったから菜園とかガーデニングができる庭なんてない。  第一、両親はひどく虫嫌いだ。草花に触れる場所へ出かけることもなければ、ダイニングテーブルに花を生けることすらいやがった。草花に触れることなんて、ほとんどない。 「ご職業にこだわりはないと仰られていましたが、何か気になる点はございますか?」 「いえ、ありません。ただ、どうして有島さんは、ぼくにその方を紹介するのかなと不思議に思いました」 「といいますと?」  有島さんは怒っているわけでもないのに、眉間にしわを寄せて訊き返してきた。 「変な話、ぼくはあまり育ちがいいとはいえません。(いん)(ぎん)無礼な態度をとって、年上だけでなく同年代や年下にまで、あきれられてしまうことも多いです。知人や親友だった彼にも注意されることが多々ありました。バイト先で店長や先輩に怒られることも、しょっちゅうです。少しずつ軌道修正して直してはきたもののぜんぜん人間性がなってません。きっと、その方に対しても、とんでもないことをしてしまうと思います。だから……」 「そうでしょうか?」と有島さんがめずらしく難しい顔をして、目線を机の上に落とした。数秒経ったら顔を上げてぼくのことを凝視した。机の下にあった手を机の上に出し、指を組んだ。 「村山様は、こちらで礼を欠いた態度をおとりになったことは、一度もありません。いつも礼儀正しくあろうとされているのが、こちらにも伝わってきました」 「それは有島さんが僕の非礼を寛容な心で許してくださるからですよ」 「そんなことはありません。お世辞でもなんでもなく、あなたはしっかり大人の態度をとろうとしています。何より村山様はまだこの間、成人したばかりではありませんか。まだ大学に通っている学生ではありませんか。失敗はつきものです。私だって二十代の頃は失敗だらけで、上司からしょちゅう大目玉を食らっていました。それに大の大人でも、人に対して礼儀がなってない人もいるんですから、気にしなくても大丈夫ですよ」  有島さんは笑ってそう言うが、ぼくにとって一度の失敗はまさに命取りだった。  テストの点数が満点じゃなかった。ほかの子よりも運動ができない。音楽の授業で歌を上手に歌えること、楽器をしっかり演奏できること、芸術作品で賞をとれること。部活動で大会に出場し、優勝すること――どれかひとつでも失敗したら親の愛情や、関心を得られなくなる。

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