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「俺の方は親父の仕事の関係でな。親父は日本国内だけでなく、ここ香港や台湾での活動も多かったから」  それゆえ幼い頃から多国語で育てられたのだと説明する。 「そういやアンタはうちの組のこともよく知っているようだが」 「知ってるっつっても噂程度だけどね。日本の鐘崎組と言やあ、ここ香港の周一族とも懇意だって聞いてたからさ」 「そうか。まあ、うちはご存知の通り裏の世界にどっぷりの稼業だからな。親父の仕事は恨みを買うことも多い。例えばガキの俺が人質に取られるような可能性も無きにしも非ずだ。そんな時に敵の話す言語が分からんと命にかかわると言われてな」 「それで小さい頃から多国語を学ばされたってわけ?」 「そういうことだ」 「ふぅん、そっか。けど大したもんだな。何も知らなければ香港人にしか見えねえもんなぁ」  感心といったように紫月(ズィユエ)は讃え、紹興酒を継ぎ足した。 「ところで紫月(ズィユエ)さん――いや、紫月(ズィユエ)。アンタ、男遊郭の頭というが……。その、なんだ……普段はアンタもお座敷へ出ることがあるのか?」  少々言いづらそうにしてそんなことを訊いた遼二を横目に見遣りながら、紫月(ズィユエ)はクスッと鼻で笑った。 「つまりは何? 俺が男娼として客を取るかってこと?」 「はぁ……まあ、その……」  紫月(ズィユエ)は男遊郭の頭であるが、それ以前に群を抜く見た目の良さや優雅な立ち居振る舞いからして、例え頭だとは知らずとも高級男娼であるだろうことは想像がつく。当然、頭としての仕事以外にも自ら男娼としての任を負っているだろうと思えるのだ。ただ、遼二の中では彼自身も気付かない無意識の内に、この紫月(ズィユエ)が男娼として客を取っているのだろうことを想像しただけで何とも言いようのない焦燥感に駆られるのが不思議でもあった。  客を取る、イコール色を売るということは言わずもがなだ。紫月(ズィユエ)がどこの誰とも知れない客を相手にしている様を想像すれば、どうにも堪らない嫉妬心のようなものが湧き上がる。できることなら頭としての任だけで、彼自身は客の相手をしないでいてくれればいい――そんなふうに思えてしまうことが驚きでもあった。  紫月(ズィユエ)もまた、遼二が訊きたい意味が分かったのだろう、わずか苦笑気味で不敵な視線を対面に向けた。 「それ、敢えて訊く?」  相変わらずのニヤっとした笑みが、『俺が客を取ってたらどうだっていうんだ』とでも言いたげだ。遼二はつい口が滑ってしまったことに気まずそうながらも、素直に詫びの言葉を口にした。 「すまない……。少々出過ぎたことを言っちまった」 「いや――構わねえ。アンタに悪気がねえことくらいは分かるよ」 「……すまない」 「ま、正直に言うとさ。もちろん直に俺が相手しなきゃなんねえ客ってのもいるにはいるけどな。ただし、アンタが考えてるような、いわゆる『客を取る、イコール色を売る』ってのとは意味合いが違うんだ。俺は実際この男遊郭の人寄せパンダっていうかさ。客と会って挨拶を交わして、その後はその客に見合った店子を見繕うのが役目でもある。分かりやすく言えば取り継ぎ役ってわけ」  だから男娼として実際に酒の相手や色事の相手をするというよりは、その客の好みを読み取り、各妓楼のどの男娼を当てがえばいいかを判断するということだ。  それを聞いて遼二は無意識にもホッと胸を撫で下ろしたものの、当の紫月(ズィユエ)にすれば男娼たちを見繕うよりは自ら『客を取った』方が気分的にはマシだというような表情をしてみせた。

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