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135 翳り(第四章)
二十世紀半ば――。
九龍城砦地下遊興街は香港の裏社会を治める周 一族の次男坊・周焔 の統治によって世界各国から訪れる客で賑わいをみせていた。焔 は”砦の皇帝”と呼ばれ、人々からの信頼も厚く、統治者として頼りにされていて、今は地下街全体がまるでひとつの大家族の如く団結し平穏と幸せに満ちる日々が送られている。
そんな穏やかなこの街に翳りが差し始めたのは、皇帝・焔 と冰 が婚姻を結んで後、半年が経った頃であった。
街のあちらこちらで阿片 の存在が疑われる――そんな話が焔 の耳に入ってきたのは晩夏を告げる虫の音が郷愁を思わせる季節の変わり目だった。
「阿片 が蔓延し始めているだと――!?」
執務室にて焔 が険しく眉根を寄せた。そんな彼をすがるような目で見つめながらも困惑顔を見せているのは、地下街に生きる者たちで構成された自治会の長たちだ。彼らはそれぞれホテルやバー、クラブ、飲食店の経営者でいて、この街で生まれ育った生粋の九龍城砦っ子といえる。代々受け継いだ稼業を営みながら、この街で夢を育み、この街を愛して生きてきた――統治者たる焔 にとっても家族さながらといえる者たちだ。自治会組織を作ってまで街の秩序を重んじてきた彼らが、阿片 などといった荒廃に繋がる物を持ち込んだり流行らせたりするわけがない。
「皇帝周焔 、申し訳ございませんッ! 私共の管理不行き届きでございます……。どうにも様子がおかしいと我ら自治会で調査に当たりましたところ、殆どの店で一人か二人は中毒患者が見つかりまして……」
「多いところでは店の半数に上る者が阿片 に取り憑かれており――」
驚愕でか報告する声もガタガタと震わせている。
「――店の半数だと?」
「は……、既に暖簾を下ろさざるを得なくなり商売を畳み始める者も出てきております」
とすれば、各店の従事者だけではなく、遊興街を訪れる客にも阿片 が流れ始めていると考えるべきか――。不測の事態に焔 はますます眉間の皺を深くさせられる羽目となった。
「――それで、いつからなのだ。お前さん方が阿片 の存在に気付き始めたというのは」
「……はい。一等最初におかしいと思ったのはひと月ほど前でした。気が触れた従業員が辞めて、この地下街を出て行ったと聞いたのは」
「そんなことが二軒目、三軒目の店で聞かれるようになり……さすがにおかしいと思い始めた時には既に手の付けられないほどに広がってしまっている状態でした」
慌てて調査をしたところ、どうやら阿片 は瞬く間に広がったようで、ゆえに気付いた時には遅かったということのようだ。
緊急事態に、焔 はひとまず懐刀の遼二 と男遊郭を治めている紫月 、それに女遊郭の頭である酔芙容も呼んで状況の確認を行うことにした。
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