160 / 188
159
「お前さんも耳にしたことがあるだろう。九龍城砦と言われる――いわば悪の巣窟として名高い場所だ。だがしかし、あの一種独特な外観は実は隠れ蓑であって、あそこの地下には秘密裏の遊興街があるといわれている。世界中の富豪が集うと噂されていて、高級カジノにバー、遊郭まであるという話なのだが――どういう経緯でか知らんが、あの子供はそこを仕切っているマフィアの元で暮らしているようなのだ」
「そんな……ッ! じゃあおいそれとは手が出せないということ?」
「いや――。確かに相手はマフィアだが、香港裏社会を治める周 というファミリーは、人柄も温厚で、一般的なマフィアのイメージからは考えられないほどに紳士的だとも聞いている。我々とてこの日本を代表する大財閥の一員だ。誠意を持って訪ねれば――あるいは話を聞いてもらえるやも知れない」
「まあ……そうなんですの?」
だったら一刻も早く香港へ飛んでそのマフィアを当たってみましょう――と、妻は必死だ。
「子供の名は確か――冰 だったか」
「冰 ?」
「無事に育っていれば二十歳そこそこの男の子だ。私の調べたところ、九龍城砦地下街を仕切っている周 ファミリーの次男坊・周焔 という男の連れ合いとされているそうだ」
「……連れ合いですって? つまり――結婚したということ? でも子供は男の子でしたでしょう?」
「そうなのだが――。噂によると周焔 という次男坊はどうも断袖の気があるようでな。冰 を自分の伴侶として迎え入れたとか……」
「まあ……! なんていうこと……。でもあなた! もしかしたら何か事情か――あるいは裏があるのかも知れないわ。でなければ男同士で婚姻など、普通に考えればにわかには信じられませんもの!」
案外、その周焔 というマフィアの方でも冰 の扱いに気を揉んでいて、こちらが彼を引き取ると言えばこれ幸いと引き渡してくれる可能性も高い。そうすればお互いにとってこれ以上ない好都合じゃないかしら――と、妻は瞳を輝かせる。
「うむ、そうだな。お前さんの言う通りかも知れん。こうなったらすぐにも香港に飛んで、周焔 を訪ねるとしよう!」
初冬に入ったばかりの香港九龍城砦地下街――。遠く離れた日本の地で、そんな思惑が話し合われているなど知る由もない周焔 と冰 は、今日も互いを思い遣り、穏やかで幸せな日々を送っていた。
◇ ◇ ◇
ともだちにシェアしよう!

