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160 出生の秘密

 香港、九龍城砦地下遊興街・周焔(ジォウ イェン)邸――。 「――いったいどういうことなのだ。おっしゃっている意味がよく分からんな」  中華風の調度品に囲まれたその応接室で気難しげに眉根を寄せたのは、この邸の主人である周焔(ジォウ イェン)だ。  彼はこの九龍城砦地下街に於いて、そこに住まう者たちから″皇帝″という異名で崇められるほどに慕われている統治者である。  香港の裏社会を治める父の命にて砦の統治を任されて以来、かれこれ六年余り。今では街の誰もが慕い、頼みに思っている――いわば地下街の実質的な頭領(ボス)といえる。歳は三十歳手前と若いながらも、統治力に優れた精鋭であるのは誰もが認めるところだ。  そんな彼に心から慈しむ伴侶ができたのは今から一年と半年ほど前のこと、相手は同性であり、歳も十歳ほど離れているものの、(イェン)にとっては目の中に入れても痛くないと思えるほどに愛しい存在――名を雪吹冰(ふぶき ひょう)といった。  (イェン)(ひょう)が出会ったきっかけといえば、当時まだこの地下街で治外法権ともいわれて仄暗い噂の絶えなかった遊郭街に(ひょう)が売り飛ばされた際、彼を救う為に二人が許嫁であると偽った策である。(ひょう)の養父であった(ウォン)老人が長年ファミリーの下で仕えた腕利きのディーラーだったこともあり、当初の(イェン)は何としてでも彼を遊郭街から救い出さんと決意した挙句、男同士で婚約を交わした仲だという偽の体面をでっち上げたというのがそもそもの成り行きだった。  ところがその(ひょう)はたいそう心根のやさしい少年でいて、彼と過ごす内に(イェン)は心温まる感情を覚えることとなる。(ひょう)もまた然りで、自分を救い出してくれた″皇帝″(イェン)に厚い人情を感じては、次第に想い合うようになっていったのだ。  そんな二人が偽の策ではなく本物の夫婦として人生を共にしたいと思ったのが一年半前のことだった。  男同士という、この時代にあっては高い壁も二人の愛情の深さで難なく乗り越えて、砦内に生きる人々からも祝福され、慕われる夫婦となった。二人の側には理解ある家令の真田(さなだ)をはじめ、絶対の信頼が置ける側近の(リー)(リゥ)(イェン)の幼馴染みで古くからの親友であった鐘崎遼二(かねさき りょうじ)、そして(ひょう)の救出に当たり共に心を砕いて力になってくれた一之宮(いちのみや)父子などがおり、これまで数々の苦難にぶち当たりながらも皆で力を合わせて乗り切ってきたものだ。ある意味平穏で幸せの絶頂ともいえる中、新たな難儀を突き付けてきたのが今現在(イェン)の目の前にいる二人の中年男女だった――というわけだ。 「ですから! 再三ご説明申し上げた通りですわ。貴方様の伴侶といわれている雪吹冰(ふぶき ひょう)。その子は私ども氷室(ひむろ)財閥の血筋を引くれっきとした後継者なのです!」  女の方が眉間を筋立てながらも(イェン)に食ってかかる。つまり、(ひょう)を自分たちの元へ引き渡せ――というのがこの中年男女の言い分のようだ。  氷室(ひむろ)財閥といえば(イェン)でもその名は聞いたことのある日本の大財閥だ。むろんのこと個人的にはこれまで関わりなどは無かったが、(イェン)の実母というのも生家は日本の財閥である。ちなみに実母の姓は氷川(ひかわ)だから、氷川(ひかわ)財閥の令嬢ということになる。  氷室(ひむろ)氷川(ひかわ)、語呂的に近いということもありその名前だけは耳にしたことがあった。そんな一大財閥の跡取りが(ひょう)だなどと聞かされれば驚くなという方が無理だろう。(ひょう)本人からはもちろんのこと、養父である(ウォン)老人からもそんな話は聞いたことがなかったからだ。

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