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それは雪吹 夫人が冰 を出産した直後のこと――氷室 夫人は彼女の病室を訪ねては、自身の懐妊が虚偽だったことを知られたくはない、その為に雪吹 夫人の産んだ子を自分の子として貰い受けたいと懇願したのだそうだ。
「当然、雪吹 夫妻にとっては快諾できる話ではなかったでしょう。それだけは勘弁して欲しいと言って養子の話を断った。ただし、心やさしい雪吹 夫妻のことです。養子の話を蹴ったことで、引き続き氷室 家に仕えていくのも気が引けたのでしょう。夫妻は暇をもらって氷室 家を去りました。香港に移住したのも日本国内に居るよりは海外へ渡ってしまった方が氷室 夫人も諦めがついてお気持ちが和らぐと思ってのことだったのかも知れません」
日本に居ればいつどこで氷室 一族と再会するかも分からない。遠い異国に行ってしまうことで氷室 夫人に養子の件を諦めてもらい、現実に目を向けて欲しかったのだろう。
「ですがその後、ほどなくして氷室 夫人は精神的な病が悪化して他界。それを機に彼女の兄夫婦も一族からは事実上の縁切りのような状況となり、それまでは比較的左団扇だった暮らし向きも徐々に困窮に追い込まれていったようです」
「――なるほどな。つまりそれまでは氷室 家の名を傘に着ていたのが、妹亡き後は思うようにならなくなったというわけか」
「ええ。そこで兄夫婦は妹の妊娠の真偽を調べ始めたわけです。約一年もの間、別荘でどのように過ごしていたのか、あれほど子を望んでいたにもかかわらず産まれたはずの赤子を養子に出した理由は何だったのか――などです。ところが調べを進める内に妹の妊娠出産は虚偽だったことが分かり、焦った兄夫婦は当時の医師から妹君が雪吹 夫妻の赤子を欲しがっていたということを突き止めた――」
以来、兄夫婦は血眼になって雪吹 夫妻の行方を捜し始めたのだそうだ。つまり、妹がついた嘘を今度は兄夫婦が引き継いで、雪吹 夫妻の子を氷室 家の嫡子に仕立て上げようとしたのだそうだ。彼らが焔 を訪ねてまで冰 を欲しがったのもその為だ。
「つまり――ヤツらは冰 を氷室 家の嫡子と偽り、遺産を手に入れようとしたわけか――」
焔 は憤りを隠せなかった。そんなことの為に利用され、拉致までされたのだ。今現在、冰 がどんな気持ちでいるかと考えるだけで腑が煮えくりかえる思いだ。佐山 の話は続いた。
「私の調べたところ、兄夫婦は既に遺産を手にする手続きに成功したようです」
「――ということは、冰 君は既に氷室 家に連れて行かれて、自分が嫡子であると証言させられたということか?」
今度は曹 が訊く。佐山 も瞳を伏せ気味で静かにうなずいてみせた。
「おそらくは――」
そして、このような言い方をしたら失礼は承知の上ですがお許しください――と、前置きしながら佐山 は続けた。
「遺産が手に入ってしまえば兄夫婦にとって冰 さんは用済みでしょう。一刻も早く所在を突き止めるべきかと」
佐山 の方でも兄夫婦と冰 の行方については調査を進めているとのことだが、生憎まだ居場所が掴めないでいるそうだ。
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