177 / 188
176 愛しき腕を求めて
同じ頃、焔 らが来日していることなど知る由もない冰 は、何とかして香港へ連絡を取る手段を考えていた。着の身着のまま、一銭も持たない状況下で出来ることは限られている。自力で香港へ帰るにはとにかく金が必要だ。当初、冰 は短期で住み込みの仕事先を見つけようと考えた。日々の飲食に加えて渡航費さえ貯まればと思っていたものの、よくよく考えればパスポートさえ持たぬ身だ。これでは出国することすら叶わない。そこで思いついたのが国際電話で焔 に連絡を取ることだった。焔 には世話を掛けることになってしまうが、申し訳ないなどと言っている場合ではない。自分がいなくなったことで、きっと心配を掛けているに違いないし、ここは一刻も早く現状を知らせることが大事と考えた冰 は、まずは一文無しの状況を何とかしようと考えた。
(焔 さんに連絡さえつけばいいんだ。国際電話を架けられるだけのお金を何とかすれば……)
後は焔 がどうとでもしてくれる。このまま黙って職を探し、渡航費を貯めてパスポートを取得するというのが冰 にとっての理想ではあった。むろんのこと焔 の手を煩わせないという気遣いに他ならないわけだが、その間自分の行方が知れないことで焔 に心配を掛けるのも本意ではない。迷惑云々以前に、自身の無事と現状を知らせることこそが何より大事であるのだ――と、それが分からない冰 ではない。
とにかくは香港までの国際通話料金を知ろうと思い、目の前に見えた大きな駅の構内へと向かった。見上げるほど大きな駅舎には東京駅と記されていた。
「東京駅……? ここが……。立派な駅」
伯父夫婦に放り出されてから当てもなく歩き続けて辿り着いた先は東京駅だった。日本の首都『東京』の名の付く駅だ。香港育ちの冰 にとっても一目瞭然でここがこの国を代表する駅であろうことは察しがつくというものだ。ここならば国際通話が可能な公衆電話があるはずだと思い、立ち寄ってみたのだ。予想通り、公衆電話が見つかってまずは胸を撫で下ろした。
「香港までは……いくら掛かるのかな」
後に当たり前となる携帯電話などもこの時代には無い。国際通話となれば金額的にもそれなりに高い時代だが、通話料を稼ぐくらいなら渡航費を貯めるよりは遥かに短い期間で済むはずだ。
電話機の前でしきじきと眺めていた時だった。後方から駅員らしき中年の男に声を掛けられて、ハタと振り返った。
どうやら冰 がしばらく国際電話機の前で立ちすくんでいるのを見ていて、架け方が分からないとでも思ったのだろう。駅員は親切心で声を掛けてくれたようだ。
ともだちにシェアしよう!

