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186 取り戻した平穏

 九龍城砦の(イェン)の元へ伯父夫婦が警視庁に身柄を拘束されたとの知らせが届いたのは、それから十日ほど後のことだった。その間、夫婦は手持ちの金で食い繋ぎながら逃げ回っていたということだろう。捕まった時には、二人共やつれ切って見る影もない有様だったそうだ。  財布に現金が残っていた為、宿を探すこと自体は可能だったものの、どこへ行ってもまずは目に付いたのは指名手配犯のビラだ。ホテルにスーパー、果ては小売店の軒先にまでおびただしい数のビラが貼られており、これでは宿に泊まるどころか、わずかな食料を買うことすら困難を強いられる。加えてカード決済をすれば身元が知られてしまう為に憚られる。  顔を覆い、なんとかその日その日の食料を買い、昼も夜も廃墟や路地裏を彷徨って逃げ惑う日々――。  身を隠せる場所では必ずといっていいほど強盗のような危ない連中に囲まれ、やっとの思いで手に入れた食料を奪われた。当然か安眠はままならず、腹は空き、人目を避けられる場所へと逃げ込めば強盗さながらの危ない連中に囲まれる。安全を求めて人通りの多い街中へ出れば、自分たちの顔写真付きのビラの応酬。そんな逃亡生活が続けば、心身共に疲弊するのは時間の問題だ。ついには諦めて、夫婦自ら警察に保護を求めるまでに費やした時間は一週間と掛からなかった。  そうして二人が身柄を拘束された際、妻の方は既に気が触れている状態でいて、夫の方も精神的肉体的に苦労をしたせいか、この短期間に髪は真っ白に変化して、身体も痩せ細っていたという。  だが、結果的にどういう状態であるにせよ、(イェン)丹羽(にわ)に約束した通り二人は身体のどこに怪我を負うでもない五体満足で逮捕された。彼らが現地で浮浪者などに囲まれ、命に危険が及びそうな時は、鐘崎(かねさき)組の組員らが陰から密かに二人を護衛していたお陰だ。  (イェン)は二人の命を奪ることはしなかったものの、(ひょう)を着の身着のまま一文無しで放り出したことに対して、目には目を――の報復を見舞うことで落とし前としたのだった。むろん、こんなことを(ひょう)が知れば、あの心優しい彼は憂いただろうが、裏の世界には裏の世界の始末の付け方というものがあるのだ。何から何まで温情を掛けていては示しがつかないこともある。むしろ命を奪らずに刑務所に放り込んだ処置は厚遇といえるだろう。  彼らは日本へと身柄を移された後、詐欺罪で刑に服することになろう。刑期を終えて出所したとて、待っているのは一文無しの生活と氷室(ひむろ)家からの冷たい視線だ。もう二度と誰かの傘を着ての左団扇な暮らしは望めないだろう。都合良く他人を陥れて甘い汁を吸おうとしたことへの償いは、この先の長い人生で嫌というほど味わうしかない。まさに因果応報といえた。  かくして(ひょう)に降り掛かった遺産騒動は、静かに幕を降ろしたのだった。

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