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その後、氷室 財閥から焔 と冰 の元へ謝罪として使者が遣わされて来た。
氷室 家によれば、例の伯父夫婦は一族の間でも厄介な存在だったようだ。焔 のお陰で不当な遺産が彼らの手に渡らずに済んだことを心から有り難がって、丁重に礼を述べてよこした。それと同時に謝意として遺産の一部を受け取って欲しいと持参して来たが、焔 は貰う道理はないと言って金を受け取ることはなかった。
「氷室 殿のお気持ちはこの通りしかと受け取りました。金についてはお気持ちだけいただくことにいたします。ご遺族の皆様でお役立ていただければと存じます」
「はぁ……左様でございますか。ではお言葉に甘えまして仰せの通りに――。周焔 殿の広いお心に、一族に代わって御礼申し上げます」
使者は老年の男性で、長く氷室 家に仕えてきたのだと思われる。おそらくは亡き当主の若かりし時代からずっと側で尽力してきたのだろう。どことなく家令の真田 を思わせるような、人の好さが滲み出た面持ちだ。そんな男にとって、香港裏社会を仕切るこの周焔 なる皇帝に、詫びの金品を押し付けることが懸命でないことは理解できているのだろう。彼は心からの謝罪の言葉と叩頭によってその意を示すとともに、感慨深そうに冰 を見つめながら、雪吹 夫妻のこともよく覚えている、たいへんあたたかい人柄で本当にお世話になったと言って深々頭を下げてよこした。
「誠、雪吹 ご夫妻のお人柄を思わせるご立派な青年にお育ちなされ、こうして一目お目に掛かることが叶うて嬉しゅう存じます。どうぞ周焔 殿共々、末永くお倖せにお元気でお過ごしくだされますよう。心からお祈り申し上げておりますぞ」
そんな使者の帰って行く後ろ姿を見送りながら、焔 はそっと愛しい者の肩を抱き寄せたのだった。
「さて、冰 。お前さんには苦労を掛けてしまった。その詫び――というには到底足らんが、今宵はカネや紫月 たちと一緒に地上へ出てゆっくりと飯を楽しもうと思うがどうだ?」
心やさしく寡欲なこの伴侶には、どんな豪勢な金銀財宝を贈ると言ったところで恐縮するだけだ。気の置けない仲間たちと過ごすあたたかいひと時こそが何よりの詫びになることを焔 も熟知している。
案の定、心から嬉しそうに元気よくうなずく彼を愛しげに見つめてはその肩をそっと抱き寄せた。
「焔 さん、はい! ありがとうございます!」
見つめ合い、微笑み合う二人の眼差しはあたたかく、幸せに満ちている。春節間近の小春日和のことだった。
第五章 - FIN -
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