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188 嫁さんの手作り飯(第六章 プロローグ)

「でけた! やっとこ完成だぜ」  中華服にタスキを掛けた出立ちで、紫月(ズィユエ)が満足気な笑みを見せている。そこへ下男の(ジン)が茶を淹れにやって来た。 「おや、(あに)さん。ついに完成なされたので?」 「おう、(ジン)! うんうん、見てくれ! なんとか形になったわ! 良かったらおめえさんもちょいと味見してみてくれよ」  小皿に差し出されたのは――なんと漬け物である。 「よろしいのですか?」  (ジン)はこれが誰の為に作られた物かを知っている。  紫月(ズィユエ)の生まれは日本の川崎で、生家というのは寺だ。むろん、生まれたての赤子の時分にここ香港へ移住してしまった為、彼にとっては記憶にないことではあるものの、祖父に当たる人が現在の住職でいて、地元では規模もなかなかに大きく立派な寺である。九龍城砦地下街が羅辰(ルオ チェン)の息子によって占拠された事件の際に皇帝・(イェン)からの頼みによって(ひょう)(ウォン)老人と共に日本の実家へ避難し、そこで約一年の間を過ごしたことが紫月(ズィユエ)にとって初めて祖父らに会った最初の機会であった。  四半世紀の前に香港へ旅行に行ったきり突如として姿を消してしまった息子と孫が無事に生きて帰って来たことで祖父母はたいへん驚いたものだったが、立派に成長した孫の紫月(ズィユエ)と再会できて大層感激してくれたものだった。数々の運命に翻弄されながらも紫月(ズィユエ)は朗らかで明るい性質の良い青年へと成長していた。そんな彼だから祖父母ともすぐに打ち解けて、いたく可愛がられたものだ。  その祖父母に頼んで、日本から糠を送ってもらい、一から糠床をこしらえていたわけである。作った糠漬けを食べさせたい相手がいるからだ。それというのは同じく日本からやって来た鐘崎(かねさき)組の若頭・遼二(りょうじ)であった。 「(りょう)のヤツも香港へ来て早一年以上だべ? きっと日本の味が恋しくなってる頃だろうと思ってさ」  こちらで漬け物といえば搾菜(ザーサイ)などが有名だが、日本古来の糠で漬けたきゅうりやナスといった純和食を懐かしく思っているだろうと考えてのことだ。 「日本の爺ちゃん婆ちゃんに頼んで味噌も送ってもらったからさ。これで味噌汁を作ってやりてえなって!」  祖母からはレシピも一緒に送られて来たらしい。ごく簡単な物から豚汁など具材も盛りだくさんの物まで様々で、祖母が丁寧に手書きしてくれたそうだ。 「それは(わか)様もお喜びになられるでしょうね。それで今日の味噌汁の具は何になさるので?」 「うん、なんせ初めてだからさ。まずは失敗の少ねえ簡単なやつからにするべと思ってさ。ほうれん草と豆腐ってのはどうだ? でもって白米炊いて漬け物と一緒に出そうかって」 「いいですねえ! では僭越ながら私もお米を炊くくらいはお手伝いさせてくださいまし!」 「おう、そいつぁ助かるわ!」 「私も(あに)さんも日本人ですが、育ちはずっとこの香港ですもんね。ですが鐘崎(かねさき)(わか)様は大人になられてからこちらへいらしたわけです。きっと日本のお味が恋しいことと思いますよ」 「だよなぁ! 俺らは物心つく前から香港暮らしだからメシも中華メインでそれが当たり前なわけだけど、(りょう)にとっちゃたまにはこういうのを食いてえと思ってるんじゃねえかってな」  それで密かに生家の祖父母に頼んでいろいろと取り寄せていたわけだった。 「どうだ(ジン)? 漬け物の味は」 「はい! たいへん美味しゅうございますよ!」 「マジ?」 「はい、マジです! 前に(あに)さんがご実家に帰られた際にお土産で買って来てくださった漬け物よりも格段にイケてますよ!」 「ホントか? なら(りょう)にも喜んでもらえっかな」 「ええ、ええ! もちろんでございます! きっと大喜びなされると思います」  そう言いながら(ジン)はほころんだ笑みをなかなか抑えることができずにいた。味云々はもちろんだが、紫月(ズィユエ)がこんなふうに遼二(りょうじ)を思ってこしらえたその気持ちの方に何より感激するだろうと想像できるからだ。 (鐘崎(かねさき)(わか)様のお気持ちは聞かずとも分かっておりますしね)  ふふふ――と、笑みがとまらない。  (ジン)はこの一年半の間、二人の様子を側で見てきているから彼らが互いをどのように思っているのかがよく分かるのだ。二人とも敢えては口にこそしないが、友情を越えた想いを抱き合っているのだろうことが所作の節々に感じ取れるからだ。加えて、彼らと最も親しい皇帝・周焔(ジォウ イェン)(ひょう)は同性同士で婚姻を交わした仲である。そんな(イェン)らと接していれば、自分たちもいつの日か友情を越えて睦まじい仲になれたらいいななどと思い描いていても不思議はない。(ジン)にしてみればそんな日が訪れる未来を想像するだけで心温まるような気持ちでいるのだ。 (とはいえ、紫月(ズィユエ)(あに)さんも鐘崎(かねさき)(わか)様も案外奥ゆかしくていらっしゃるからなぁ。手前のような下男から見ていても、お二人がお互いをお気に掛けられていらっしゃるのがよくよく分かるというのに、肝心なお言葉に出して打ち明け合われる素振りも見受けられないし――)  奥ゆかしいのも結構なことだが、互いに想い合っているのならば幸せになって欲しいと思うのは弟分としての素直な気持ちだ。だが、こうして自ら漬け物を漬けたり味噌汁をこしらえたりする(あに)さんを見ていると、つい我が事のように嬉しくなってしまう。遼二(りょうじ)とて言うまでもなく感激で震えることであろう。  いつの日か、二人が手を取り合えるその時まで――あたたかく見守りながらも、ここ一番という時には二人の背を押してやるのも弟分の役目かも知れない。(ジン)はそんな未来を想像しながら、若頭と(あに)さんの為に白米を炊く支度に取り掛かるのだった。 ◇    ◇    ◇  その日の晩膳に招かれた遼二(りょうじ)が大喜びを通り越して感激に打ち震えたのは言うまでもない。  紫月(ズィユエ)が自ら漬け物を漬けたというので、(イェン)(ひょう)も呼ばれて賑やかな食卓と相成った。もちろん紫月(ズィユエ)の父である飛燕(ひえん)も懐かしい故国の味に感激し通しだったようだ。 「ほう? 紫月(ズィユエ)が日本から取り寄せてこしらえたのか」  いつの間に――と、飛燕(ひえん)は驚いていたが、この父もまた、息子がこんなことを思い立った理由が薄々分かっていたようだ。こんなことなら遼二(りょうじ)の父親の僚一(りょういち)にも食べさせてやりかったなぁなどと言っては、頼もしそうに笑うのだった。 「(りょう)の父ちゃんはここしばらく日本だからな。まあ日本食は食い慣れてると思うけど、仕事で香港(こっち)に来る時は俺がまた腕によりを掛けてメシ作るわ!」  それまでにはもっと上手く作れるように精進するぜと笑う。そんな紫月(ズィユエ)の気遣いにも遼二(りょうじ)はいたく感激した。 「すまねえな、紫月(ズィユエ)。だが本当に旨かった! 俺ァ……感激で上手く言葉にならんが――まさかこの香港で漬け物と味噌汁が――しかもおめえさんの手作りのメシが食えるだなんて……」  思わず涙腺が緩みそうになるほど胸をいっぱいにしているその脇では、(イェン)が瞳をカマボコ型に緩ませながらも、「良かったな、カネ!」とテーブルの下でツイツイっと膝を突いては冷やかすような笑みを見せる。そのまた隣に座っている(ひょう)が、「(イェン)さん、そんなふうに冷やかしては、お人が悪いですよー」と満面の笑みを見せている。この二人にとっても(ジン)と同様、友らの心の内が分かっているから、いつかは上手くいって欲しいと願っているのだ。 「カネ! おい、カネ! どうだ、未来の嫁さんの味は?」  性懲りも無く(イェン)がそんなふうに耳打ちする。 「……ッ、よ、嫁さんって……おめえなぁ」  遼二(りょうじ)はアタフタと視線を泳がせながらもその頬を真っ赤に染め上げている。 「(イェン)さん! だからそんなふうに冷やかすものじゃありませんって!」  律儀な(ひょう)は半ば冷や汗を拭う勢いで亭主の袖をクイクイと引っ張っては小声で制止する。とはいえ、(ひょう)とて二人の仲が上手くいってくれることを心から願っているのだ。 「ねえ(イェン)さん。(イェン)さんもお母様は日本のお人ですもん。和食は(イェン)さんにとってもお懐かしいんじゃありませんか? 僕も紫月兄(ズィユエ あに)様に教わって糠漬け作ってみようかしら」  そんなことを言う(ひょう)(イェン)の機嫌もまた一気に上昇。 「そいつぁいい! 嫁さんたちの手作りのメシとくれば最高じゃねえか! なあ、カネ!」  嫁さんたち――などと、すっかりもう二組のカップルが成立していることを主張する。遼二(りょうじ)にとってはますます茹蛸状態にさせられる言い草だ。  そんなふうに冷やかされているのが聞こえてか聞こえずか、少し離れたテーブルの対面では紫月(ズィユエ)が甲斐甲斐しく皆にお代わりの白米と味噌汁をよそっている。 「(りょう)! 皇帝様と(ひょう)君も! 味噌汁のお代わりどうだー?」  おたまとしゃもじを手に朗らかな笑顔を見せてくれる紫月(ズィユエ)をチラチラと遠慮がちに見つめながらも、遼二(りょうじ)もまた、(イェン)の言うように″嫁さんたち″が作ってくれるあたたかい食卓を囲む日を夢に見るのだった。 嫁さんの手作り飯 - FIN -

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