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189 幽霊騒動(第六章)
「幽霊が出る――だと?」
怪訝そのもの、半ば呆れがちで眉根を寄せた遼二 に相反して、菫 は至極真剣な顔つきでコクリとうなずいた。
ここは九龍城砦地下街の一角に位置する男遊郭の椿楼である。菫 はこの男遊郭街を束ねる紫月 とは幼い頃から兄弟のようにして育った信頼の置ける男だ。現在は紫月 の側付きとして様々な雑務をこなしてもいる。
「紫月 の兄 さんももうすぐお戻りになられることと存じますが、鐘崎 の若 様がおいでになられたらひとまずこの件についてお伝えしておくようにと申されまして――」
当の紫月 は、幽霊騒動について話し合うべく女遊郭の長 である酔芙容 に会いに行っているそうだ。ということは、単なる戯言や人騒がせな噂話というわけでもないということか。菫 の真剣な様子からしても笑い話で受け流していい事案ではなさそうだ。妖 の類を信じる性質 でもない遼二 だが、さすがに頭を悩まされることとなった。
「――それで、いつからなのだ。幽霊が出るだのといった噂が持ち上がったのは」
「はい、噂自体はここ半月ほど前からチラホラと耳にするようになったのですが」
菫 は茶を淹れながら話を続けた。
「実はこの男遊郭で幽霊が出ると噂になったのは今回が初めてではないのです」
「――初めてではない? ということは、以前にもあったと?」
「ええ――。私の覚えている限り、過去に二度ほど。鐘崎 の若 様たちが香港にいらっしゃる以前のことでした」
菫 の話によると、一等最初にそんな話が持ち上がったのは今から三年ほど前だったそうだ。その次に噂が立ったのは二年前。遼二 らがここ九龍城砦にやって来たのは一年半ほど前のことだから、知らなくても無理はない。
「ふむ、年に一度の割合でそんな話が持ち上がったというわけか」
まあ、ここ香港に限らず日本でも夏場になると決まって怪談話などが流行ることだし、単にそれに似たようなものではなかろうか。この時の遼二 はさして重要な事態とは感じなかったといえる。
だが、話を聞く内に、どうやら事はそう単純なものでもないのかも――と思うようになっていった。なんと、幽霊騒動と合わせて実際に人が亡くなっていると知ったからだ。
「その騒動と同時期に男娼が二人亡くなっておるのです。三年前に亡くなったのはこの遊郭街でも大店と言われている瑞雲楼で御職を張っていた花香 という男娼でした。彼は幽霊騒動の噂が遊郭街で持ちきりになっていた最中に突然の死を遂げたのですが、死因については不明とされたのです……」
菫 の両親というのは父母共に医師だ。遊郭街にある大きな病院に勤めながら菫 を育ててくれたベテランでいて、腕の確かなことで焔 からはもちろん街の皆からも信頼を置かれている。そんな両親が診ても死因が分からなかったのだという。
「心臓発作に近い症状だったようですが、何しろ亡くなった時の花香 の形相が……何か恐ろしいものでも見たようなと申しますか――それゆえ彼は妖 によって殺されたのだという噂が広まったのでございます。むろん私の両親はそんなことを信じたわけではなかったのですが、それにしてもとにかく原因不明のことでしたので、両親も彼の死因には疑問を残していたようです」
何しろ、亡くなるその直前まで、これといって具合の悪い様子などは全く見受けられなかったというのだ。ゆえにやはり妖 の仕業に違いないという噂が広まっていったらしい。
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