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第8話
「堂本翔平だ。この間は名前を伝えなかったから」
そう言って俺は自己紹介した。
名前を伝えていなかったのは聞かれなかったからではなく、彼との関係を続けようと思っていなかったからだ。
もちろん自分は同性に興味はない。いくら彼が可愛らしい男の子であっても、性的な対象で何かできるとは思っていなかった。
改めて見ると非常に幼げで美しい男の子だった。
随分若いな……32の自分とはひと回りくらい違うかもしれないと思った。
長いまつ毛、こげ茶色の瞳、透き通るように白い肌、上品な唇。
都会の片隅にこんな純真そうな青年がいたんだと思うと、東京も捨てたものじゃないなと感じた。
自分はこの子をあんなに荒々しく抱いてしまった。
もっと大事に扱うべきだったしゆっくりと深く味わいたかった。
この間は酷いことをしてしまった。
あれからひと月が過ぎて、自分がまたこのバーに来てしまった理由は単純に確かめたかったからだ。
男相手にさかってしまうなんて、初めての事だった。
多分酒に混ぜられたあの薬のせいだと思った。
あの夜は今までになくとても興奮した。
あんなに長い時間行為を続けたのも初めてだし、あれほど気持ちが良かったのも初めてだった。
噂で一度男を味わうと、もう女性には戻れないという話を聞いたことがある。
自分がまさかそうなるとは思っていなかったが、実際彼に会ってみると、また下半身が熱くなってしまった。
もう一度彼に会ってみて抱きたいと思うかどうか、自分の許容範囲を確認したかった。
たまらなく抱きたいと思った。
俺はこっちもいけたんだなと、認めるしかなかった。
朔也は仕事中は髪をまとめてきっちりとセットしているようだが、今はそれが乱れて、ふわりと揺れている。
男にしては細い肩に、守ってやりたい庇護欲が沸き上がる。
媚薬の後遺症だと嘯いたが、こんな感情は初めてだから、あながち間違いでないかもしれない。
今すぐに抱きしめてキスをしたい。
「この間は、君がそういう行為に慣れている子だと思っていた。だからあんなに強引に抱いてしまった」
「いえその、慣れてはいませんが、自分が蒔いた種なので。あの場合は仕方がなかったと言うか、お手伝いしなくてはいけない立場でしたので、お気になさらずどうぞ」
「その敬語をやめてもらえるかな。普通にタメ口でいい」
部屋の狭さも問題だが、少し動くと朔也からいい匂いがする。
小さくなって座っている窮屈そうな様子が可愛らしくて、思わず彼の腰を持ち上げて膝の上に乗せてしまった。
「あの……やっぱり後遺症ですか?」
朔也は両手で俺のシャツを掴んで、肘を突っ張って距離を取っている。
「ああ、そうだ」
ここまできたら、もうはったりでおし通す。
「こういうことは、あまり……」
「大丈夫。問題ない」
何が問題ないのか、言ってる自分も訳が分からないが。朔也を怖がらせてはならない。
「今度は、もっとちゃんと君を大事に抱くから心配しないで」
左手で後頭部を支え優しく口づける。
最初はついばむように朔也の唇を味わい、呼吸するために少し開いた上品な口内に舌を這わす。
唾液が口の中に入り込み彼の舌が跳ねる。
激しく吸い付いた唇は音を立てて朔也の舌を執拗に味わった。
「これがキスだよ」
ぼーっとした様子の朔也の髪を優しく撫で耳元で囁く。
朔也の腕が俺の首の後ろに回されたのを合図にそっと抱きしめた。
流れるようにベッドへ誘い、長い時間をかけて彼を愛撫する。お互いの肌がこすれ合う気持ちよさを感じて欲しい。
彼の身体がとろけて、目がうつろになり、声が限界まできたところで、ゆっくり優しく彼の中を俺で満たした。
この前とは違いじっくりと時間をかけた濃厚な営みだった。
朔也は疲れたのか俺の隣でぐっすり眠ってしまった。明かりをつけたままだったので彼の寝顔がよく見える。
そこら辺にいるへたな女よりよっぽど可愛いなと思った。
弁護士を目指しているらしい朔也は、学費や生活費を親に頼らずやり繰りしているようだった。
力になることは容易いが、援助を申し出ると、まず断られるだろう。
彼なりのプライドを持っていて、学業を続ける事は自分のやりたい事だからと言っていた。
何より、金を渡したら最後、愛人のような関係になってしまいそうで嫌だった。
そこに愛はあるのかと言われれば、男同士のそれが愛情を伴うものなのかどうか自分でもはっきりしない。
ずっとこの関係が続くとは思わない。朔也は若い。これからいろんな相手と出会い、社会に出て一人前になれば、好きな女もできてるだろう。
結婚も考え、普通の幸せな人生を送るだろう未来ある青年。邪魔にはなりたくない。彼の足枷にはなりたくない。
お互いゲイではなかった。
女に戻ろうと思えばいつだって軌道修正できる。
ただ、今はまだこいつを手放したくない。
俺は自分勝手だ。最低な男だな……
朔也の寝顔を見ながら深いため息をついた。
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