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第9話
それから毎週のように、土曜の夜になると堂本さんはバーへやってきた。
仕事が忙しい時は『今日は行けそうにない』とラインがくるが、この3ヶ月の間、殆ど毎週、その逢瀬は続いた。
「朔也、君は学生なんだな。法学部か……」
朔也の参考書を見ながら堂本さんはそう呟いた。
「そうです。アルバイトと勉強ばかりで遊ぶ暇がありません」
見上げるように朔也に視線を送ると。頑張ってるなと言ってくれた。
堂本さんが買ってきてくれたフルーツを皿に盛ってテーブルに出した。
彼は必ず手土産にフルーツを持ってきてくれた。
朔也はフルーツが特別好きだという訳ではなかったが、高級なシャインマスカットなどは自分では買えないので、嬉しかった。
「甘いな……」
マスカットを食べたあとの唇に堂本さんがキスをした。
朔也はキスに弱かった。
一度口づけられると、もう気分が高揚してしまって、まるでねだるかのように堂本さんに抱きついてしまう。
それを合図に彼は朔也を気持ちよくさせてくれるのだ。
煩わしい男女の関係よりよっぽど面倒がなく、あっさりとした関係だった。
朔也にとって、今一番重要なことは司法試験に合格することで、それは片手間にできるほど容易ではない。
1日10時間以上勉強しているのに、まだ足りない。時間が必要だった。
そんな状況で彼との関係は今の朔也にとって、ストレス解消になり、体だけという気軽さは深く考えることをしなくて済むので楽だと思った。
愛だの恋だのや、嫉妬や妬みなどは必要ない。
朔也はそう考えるようにしていた。
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朔也はお気に入りの図書館へ足を運んだ。
図書館で勉強を終えた帰り、朔也は公園の入口に鎮座しているギリシャ彫刻に見入っていた。
ミケランジェロのダビデ像。
朔也は思わずため息をつく。
この銅像が堂本さんの身体によく似ていたからだ。
まさしく彼はダビデ像。
鍛え磨き抜かれた男性の裸体にこそ、理想の美が現れる。古代オリンピックの参加者のごとく、美しい体だ。
彫刻の前に立つとその圧倒的な存在感に息を呑む。堂本さんの体はそれに匹敵するだろう。
「なに、ぼーっとしてるんだ?」
バーのマスターの友人で今は壁画アーティストという謎の肩書を持つ川島さんに声をかけられた。
「あ、川島さん!こんにちは」
「よ、朔も神吉(かんき)と待ち合わせてる?」
「いえ、たまたま通りかかっただけです」
軽く挨拶を交わす。
川島さんはこの公園で神吉さんと待ち合わせているらしかった。
神吉さんもバーの設立メンバーの人で、たまに店が忙しいときに二人とも助っ人でバーテンをしてくれる。彼らは朔也にとっては兄貴分のような存在だった。
「実際ににいるんですよね……ダビデ」
「なにそれ?」
「いえ、こんなスタイルだったらかっこいいなという願望みたいな……」
公園の中は平日ということもあり、人も少なく静かだった。
川島さんは缶コーヒーを自販機で買ってくれて一本投げてよこした。
木の下に場所を移し二人でベンチに腰をおろした。
「……朔って、ノーマルだったよな?」
おや?という顔をして川島さんは聞いてきた。
「そうなんです。でも、最近はなんか性別とかあまり関係ないのかなと思っています」
川島さんはコーヒーを吹き出しそうになりゴボっとえづいてる。
「マジで……」
彼の驚くその様子に朔也は凹んだ。
「まぁ偏見とか、そういうのがなくなったんです。人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を 受ける権利を有するって感じです」
「なんかよく分からないけど、まぁモンテスキューだな」
「いや、それ違います。モンテスキューは三権分立の……けど、まぁなんでもいいです」
投げやりに返事をすると、ダビデ像を視界の端に捉えながら堂本さんに思いを馳せた。
彼との関係を考えなくてもいいから『楽だ』なんて嘘だ。
こうやって会わない日も僕は堂本さんのことを考えている。
「あれか、恋した相手が男だったって感じ?で、悩んでるってとこか」
「悩んでるんですかね……彼とは悲しいけどそういう行為しかしてない。俗に言うセフレでしょうか。毎週決まった曜日にやってきて、翌日昼には必ず帰っていく」
「昼に帰るの?」
「そう」
昼からは仕事だと言って必ず帰る。一緒に何処かへ出かけたことはない。
「セフレとか、朔には似合わない言葉だな。既婚者?不倫とか」
その可能性はすでに考えた。そして、結論を言う。
「多分結婚してる気がする」
「まじで勘弁だぞ」
川島は朔也の髪をワシャっと掴んだ。
その後、不倫に対してのリスクを話し出す。
「誰も得はしない」
最後にそう言うと、同情を滲ませた顔で少し笑って見せた。
朔也は堂本さんに「結婚してるのか?」ときけないでいる。
年齢は32歳。朔也より8歳も上だ。結婚していてもおかしくない。リゾート開発を手掛ける企業で働いていると言っていた。
堂本さんは朔也の体だけが目的なのだろう。週に1度、ただで抱ける相手。
お金もかからない面倒なこともない。我がままも言わない。手軽なセフレなのだろう。
けれど彼があんなに愛おしそうに朔也を抱いてくれるから、そこに愛があるのかもしれないと錯覚してしまう。
癖になるほど堂本さんとの行為は気持ちがいい。まさに天国。他を知らないからなのかもしれないけど、それはもう、凄いんです。
決してそういう関係が良いものだとは思わないが、朔也はもう沼にハマってしまっていて、抜け出せない気がしていた。
そろそろ行こうと二人で腰を上げミケランジェロの銅像の前まで来ると、川島さんは。
「悪いけど、俺はこの銅像よりスタイルいいぞ」
腕をまくって上腕二頭筋を朔也に見せた。
ダビデ像に失礼ですと笑った。
しばらすすると、マスターの友人で彫刻家の神吉(かんき)さんがやってきた。
「ギリシャ彫刻の話でもしてるの?もし質問があるならいつでも受付けます。2日くらいかけて説明する」
「長いです」
朔也は苦笑いする。
「もう完璧に理解してます」
少し食い気味に川島さんが付け加えた。
はははっと笑って3人で歩き出した。
学芸員でもある神吉さんは真面目な性格で、芸術作品に関して分からないことがあればいつも丁寧に教えてくれる。
今日は川島さんと飲みに行くらしい。
朔也も一緒に来るよう誘われた。
バー『PROBE』は同じ国立の美大出身者5人が主体となって始めたものだった。
マスターとその奥さん、神吉さん、そして川島さんと後一人の男性。当時何があったのかはよく知らないが、マスターの奥様は10年前に他界されている。
残された4人の友情は今でも失われず、バーにみんなが集まるといつも賑やかだった。
とても温かい素敵な関係性が伺え、朔也には入ることができない4人の深い絆が彼らの中には存在した。
「久しぶりに『PROBE』行こうかと思ったけど今日から改装工事に入ってるって言ってたよね?」
川島さんが尋ねる。
「そうです。お店が開くのは3週間後ですね」
「じゃあ、朔は当分休みなの?」
神吉さんは朔也の顔を覗き込む。
「はい。暇になりますから何か短期で良いアルバイトでも探そうかなと。なにせ苦学生ですから」
「そうか……じゃあご飯ご馳走するよ」
いつも気遣いを忘れない神吉さん。
「あ、いえ、いえ、そういう意味じゃありませんので」
ちょうど僕もお腹が減ってきたから。と神吉さんは朔也が気を遣わないよう誘ってくれた。
『PROBE』の近くに新しくスペインバルができたから、そこへ偵察も兼ねて行ってみようということになった。
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