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第18話

僕の職場の弁護士の木村先輩は、指導役として朔也をこき使っている。パラリーガルもいるのに、面倒な書類仕事をほとんど朔也に振ってくる。 年齢は38歳独身で、見ようによっては男前といえない事もない。 仕事はできる人だったが、少し強引すぎる性格に難色を示す同僚も多かった。 「気に入った奴ほど鍛えたいっていうか、傍に置きたいって事だろうね」 見兼ねた他の弁護士がフォローしてくれるが、こんなに仕事が増えるくらいなら気に入られたくなんてないと思ってしまう。 そんなある日、朔也の部署に河合さんという新しいパラリーガルがやってきた。 彼女は派遣会社から来た主婦だった。 法務関係の仕事をずっとやってきたベテランみたいで、仕事が正確でとても早かった。 昔からいる正社員の女の人の3倍は仕事ができるように思った。 その河合さんが朔也の下についてくれたのだ。 河合さんは次から次へとやってくる案件を無駄なく猛スピードでこなしていく。 負けられないという変な対抗意識が出てきて、朔也も猛スピードで仕事を片付けた。 定時で上がれる日も増えてきた。 河合さんのおかげで朔也は随分仕事が楽になった。 「お前も随分仕事ができるようになったようだし。新しく『ネットの誹謗中傷』扱ってみるか?」 できるようになった訳ではなく、面倒な書類作業を河合さんがほぼやってくれているから早くなっただけだ。 その大量にある仕事を振ってくるのが木村先輩だという事に気がついてないのだろうか。 「新しい仕事内容ですね」 「そうだ。これは被害者側も加害者側も最終的に不幸になるという。最悪な仕事だ」 「なんですかそれ、恐ろしいです」 「内容証明で損害賠償慰謝料を請求、それから双方の合意で和解契約書・示談書。おしまい」 木村先輩は簡単に言うが、そこはそんなに単純な話ではないだろう。 けれどこういうケースは最近すごく増えているので、覚えておいて損はない。 「今日は飯を食いに行きがてら、いろいろ指導してやるからそのつもりで仕事を早く切り上げろ」 木村先輩と二人で飲みに行くのはあまりうれしくないが、仕事が絡むのなら断りづらい。 仕方なく付き合う事になった。 「あら、いいですね。私もご馳走していただきたいわ」 突然の河合さんの乱入に木村先輩が驚いている。 「……いや、あれでしょ。河合さん主婦だから、いろいろ忙しいでしょうし……」 木村先輩はなんとなく嫌そうに河合さんの顔を見た。 「そうですね……残念ですけど。けれど木村弁護士は美味しいお店とか、よくご存じでしょうから青木弁護士が羨ましくなっちゃいます。どんなお店に行くんですか?」 そんなに食事に行きたいのかな、突っ込んで質問し過ぎだろうと思ったので。 「そんなすごいお店とかじゃないでしょう。普通の居酒屋とかですよ。そんな感じでも十分旨いんで俺は満足です」 男二人がそんな洒落た店に行くわけない。居酒屋ですよと朔也が河合さんに言うと。 「俺だって接待とかでいい店知ってるんだぞ。今日は『榊』っていう日本料理屋予約してるんだ」 予約?木村さん予約したのか?わざわざ予約したなんて、裏がありそうだとしか思えない。 また何か仕事を押し付けられる予感しかない。 「ああ、難波の『榊』ですか?あそこ人気でなかなか入れないお店ですよね」 「そうなんだよな、今日は予約の人数二人でって言ってるから、またの機会にみんなで行こうな」 人気店だといわれて嬉しくなったのか、木村先輩は河合さんに、いつ訪れるか分からない「また」を使って彼女の参加を断った。 日本料理屋さんの『榊』は高級感漂う料亭ではなかった。 個室にはなっているが、繁華街にある今どきのお洒落な店だった。 落ち着いた空間で、周囲に気兼ねなくゆっくりと食事を楽しめるという店側のこだわりが感じられた。 これってデートで使うような店じゃないか。どう考えても木村先輩と来るような場所じゃない気がした。 仕事の話をするのかと思いきや、先輩はプライベートの友人の話や休日は何をしているかとか、朔也の趣味なんかの話をしてきた。 「急にコミュニケーションを図ろうとしています?まあそういうことも必要かとは思いますが……」 「コミュニケーションって言うか、お前……今付き合ってるやつとかいるの?」 急に恋人の有無を確認をしてきた先輩。がんがんプライバシーに踏み込んでくる先輩。正直に答える必要もないと思い。 「特にいませんけど、それが何か?」 「……あれだなお前ってどっちかって言うと、男に好かれるタイプだよな」 まさか自分がゲイだと思われている?そういう雰囲気を出してしまっていたのだろうか。焦って聞き返してしまう。 「はい?…………えっ?」 「いや、俺、偏見とかないから。と言うか好きになったらどっちでもいいタイプ。男でも興味があるし、ぜんぜんオッケー」 急に距離を縮めてくる先輩に、朔也は冷や汗が出てきた。そっち?そっちなのか?あたふたした。 「ど、ど、どういう意味ですか。違いますから、いや……ないですから」 木村先輩は朔也の手をそっと握った。 あきらかにそっち?の誘いじゃないかこれは。完全なセクハラ、そして普段のパワハラ、コンプライアンス完全無視。弁護士とは思えない先輩の行動はIC レコーダー必須事案。 朔也は彼の手を外して、話が危険な方向へと行きそうなので軌道修正する。 急いで体制を立て直す。 そういう話の流れを変えるのは得意だ。 4年間の『PROBE』でのアルバイト経験で培ったもののひとつ。バーテンダーには容易い事だ。 「またまた、冗談言わないでくださいよ」 学生時代にいた彼女の話に、でっち上げた女性弁護士の架空の恋人の事を織り交ぜ、自分はノンケでゲイではないと強めに主張した。 「俺はどっちも行けるけどな」 そう言う先輩を、颯爽とスルーする。 話を仕事に戻し、そろそろお開きという時。 「これ、二日酔いに効くから飲んどけ、明日が楽だぞ」 先輩は、スタミナドリンクを鞄から出して、朔也に渡した。 先輩も同じ物を自分が先に飲んだ。 いつも職場で栄養ドリンクやサプリメントをしょっちゅう飲んでいる先輩。 朔也は特に気にせず、先輩に勧められるがまま「ありがとうございます」とお礼をいい、そのスタミナドリンクを一気に飲んだ。

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