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第23話

「河合さん。ちょっと飲み過ぎですよ」 「旦那が出張中なんてこんな機会はめったにないので、大いに結構」 「結構って自分で言ってどうするんですか」 朔也は河合さんと魚が美味しいと評判の居酒屋へ来ていた。 彼女は朔也の為に毎日たくさんの仕事をこなしてくれている。何かお礼がしたかった。 彼女は驚くべき能力の持ち主で、派遣さんにしておくのはもったいない。 「堂本さんの会社にいたって聞いた時には驚きました。何故ここに来たんですか?河合さんなら他にも高度で専門的な仕事がありそうなのに」 「え、と。ここはお給料いいですよね?」 確かにそうだ。金払いはものすごくいい。ただ、仕事の量が半端ないから、それくらいは当然もらって当たり前だと思う。 「私、仕事するの好きなんで、サボリたいとか、楽したいとかそういうのはあまりなくて、やった分だけ給料に反映してくれるところの方がやりがいがあっていいんです」 「まぁ……そうですか。給料はいいけど、派遣さんがきても続かない職場って言われてますから、河合さんのような人材は貴重です」 以前、河合さんは人気の日本料理屋に行きたいと言っていた。日ごろの感謝を伝えたく食事に誘った。 こんな居酒屋でいいのかと思った。けれど、お洒落な店より美味しいお店にして欲しい、という彼女の要望に応えた結果、この店に決めたのだった。 相手は女性だけど、ご主人がいる。朔也も気軽に誘えたので良かった。 「なんか最近疲れがたまるなと思ってたら、前立腺が腫れてたんです!」 「え?ぜ、前立腺?河合さ……誰が、誰の前立腺ですか?」 前立腺が腫れるって……朔也は驚いて河合さんに聞き返した。 「なんで前立腺なんですか!そんなわけないでしょう!甲状腺が腫れるんです」 「へ?あぁ。ですよね甲状腺ですか。そうですよね、それは大変ですね」 なんかよく分からないけど、お気のどくに。 河合さん酔っぱらってるな。 朔也はそれとなくウーロン茶を注文し、河合さんの前に置いた。 そんなこんなで楽しく食事をしていると、河合さんの昔の同僚らしい人がお店に入ってきた。 綺麗な人だった。バリキャリって感じの女の人で、中年の男性数名と食事に来ていた。 「お久しぶりね。河合さんじゃないの。元気だった?全然顔を見せないから、どうしているのかと思っていたの」 彼女は僕たちの座っている席まで歩いてくると河合さんに声をかけた。 「お久しぶりです。佐藤先生」 今は派遣で働いているんだと近況を報告し、お互いにこやかに話をしていた。視線が僕の方へ向いたので、河合さんは僕を紹介した。 「事務所の弁護士、青木朔也先生です」 「初めまして」 そういって挨拶をすると、相手が名刺を出す素振りをしたので、自分も名刺を渡した。 「弁護士の佐藤志津香です。河合さんとは以前、職場で一緒に働いていました。とても仕事のできるパラリーガルで戻ってきて欲しいくらいです」 ニコリと笑った。 奇麗に口紅がひかれた美しい唇で、また会いましょうねと河合さんに言うと、朔也に会釈して自分の席に戻っていった。 河合さんの元職場といえば堂本さんと同じ会社だ。ということはもちろん佐藤弁護士も堂本さんの同僚。名刺を確認しながら、意外とこの業界は狭いのかなと思った。 佐藤弁護士がいなくなったので、河合さんは朔也に彼女の事を話し始めた。 「あの人は、凄いんです。大手の企業の買収ほぼ一人でやってのけたような敏腕弁護士で、そこら辺の男じゃ太刀打ちできない女弁護士。仕事に厳しく自分に厳しく。女の幸せを捨てて自分のキャリアのために邁進する。あだ名はサッチャー『Where there is discord, may we bring harmony.』サッチャーの名言を引用して相手企業を落としたとか 」 外資系の企業買収だったのだろうか。 佐藤弁護士がすごいというより、河合さんの流暢な英語の方に、驚かされた。 「私達が調和させましょう……みたいな感じですかね。あだ名からして、なんかすごそうな女性ですね」 「でも気をつけた方がいいです。女を捨てたとか言われてますけど、彼女も女性ですからね」 何かを含んだような言い方に、朔也は少し違和感を感じた。 ーーーーーーー その晩、朔也は遅くなったので堂本さんのマンションに泊めてもらった。 「横からは……ちょっと……うっ」 気持ちよさそうに眉間にシワを寄せながら喘いでいる。声は朔也のものだ。 「だから、体硬すぎなんだって、このまま生きてたら、コケただけで骨折、怪我するぞ」 「あ……ちょっと、それは痛いです」 スポーツトレーナーに教わったらしい、整体の施術を堂本が朔也に試していた。 グギグギグググッ…… 「だから……ひやぁ!」 堂本は朔也を軽くいじめていた。 それもこれも、体の関係を継続しているにもかかわらず「恋人だ」と堂本がいうと、なぜか朔也は返事をはぐらかすからだ。 「ひえええぇ……」 「なんだよこれくらいで。一緒に住んだら毎日俺のマッサージ付きだぞ。天国だから」 「も、申し訳ないですけど、これは嫌がらせですから」 「そうか?」 「はい」 やっと変な整体から逃れた朔也は、堂本さんがシャワーを浴びている間によれたシーツをきちんと敷き直した。 ベッドのマットレスを少し持ち上げてシーツの端を差し込むと、そこに何かピカっと光っている物が落ちていた。 それはピアスだった。女性物の赤い小さな石が先についている。ピンは18金だろう。高価な物に見えた。 動揺した。 いったい誰のピアスだろう…… いつからここに、あったんだろう…… 朔也はそのピアスの事を堂本さんに聞けなかった。 できることなら、自分の知らないうちに、誰かが証拠隠滅してくれば、それに越したことはない。 何も見なかったと思えば、いつも通り振る舞えるだろう。 そう……何もなかった。 自分たちは男同士だから、朔也は男だし、堂本さんが……他の女性と付き合っていたとしてもおかしくない。 将来結婚とか考えているのなら尚更、相手の邪魔をしてはいけない。 じゃあなんで自分は堂本さんとの関係を続けているのだろう。 好きだからだ。彼もそう言ってくれている。 けれどそれに甘んじてはいけない。 分かっているのに、行動が伴わない。離れられないけど、この関係をずっと続けていけるとは思わない。どうしたらいいんだろう。 朔也はひとりで悩んでいる。 来週からお盆休みに入る。 一度東京へ行きたい。 以前から『PROBE』のみんなと話がしたいと思っていた。 仕事が忙しくて今までは時間が取れなかった。今度の休みは会いに行こう。 あっちで少しゆっくりして、自分の立場をもう一度ちゃんと考えよう。 朔也はそう考えた。

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