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2.あの、せんぱい(1)

               ◇ 「あ、あのっ!」  制服の裾を握りしめ、その背中に声をかけた。  絞り出した声は思った以上に上擦り掠れている。  顔が真っ赤に紅潮している自分の姿が容易に想像できたので、颯斗は思わず顎を引いて俯いた。 「なに?」  朝の登校時間、昇降口の下駄箱の前。  振り返ったのは三年生の男子生徒三人組だ。  一つ年上というだけで、背も高く、声も低い。  高校二年生にしては小柄な颯斗は無意識に萎縮してしまい、背中を丸め縮こまりながら彼らを見上げた。 「何か用? つか、誰?」  ぶっきらぼうにそう問うのは、真ん中に立つ男子生徒。  彼の名前は大崎 善(おおさきぜん)。  涼やかに伸びた目尻が上がり、それに沿って整えられた雄々しい眉毛。頭髪はころころ様変わりするものの、今は明るいブラウンにツーブロックのフェザーマッシュだ。  振り返ったのは三人だったが、善は颯斗が自分に声を掛けたのだと、何故かすぐにわかったようだった。 「またか」と言わんばかりの両側の二人の様子からも、容姿端麗な善が声を掛けられるのはよくあることなのだとわかる。 「あのぅ……えっと……」  颯斗はごくりと唾を飲み込んだ。  日曜日に美容院に行った。スマホで美容師に人気の若手俳優の画像を見せながら初めて髪を染め、流行りの髪型にカットしてもらったのだ。  ピアスも買ったが結局それは勇気が出なくてやらずじまい。それでも精一杯に見えるように、ネクタイを緩めて第一ボタンを開けている。 「あ? なに? アノウエイト?……アノウくん?」 「いや、ちがっ、えっと……」  颯斗がおずおず言葉を探していると、善は少し苛立った様子だ。体の前で腕を組み、颯斗の顔を覗き込んできた。 「あー、プレイ希望? アノウくんSub?」  直球すぎる善の質問に、颯斗は驚き顔を上げた。目を見開き、唇は動揺でぱくぱくと空気を食んでいる。 「んあ、確かに顔色悪いな」 「抑制剤もってねーの?」  善の両側の二人も、矢継ぎ早に聞いてくる。  第二性(ダイナミクス)について、医者以外にここまで明け透けに口にされたのは初めてだ。  それとも颯斗が知らないだけで、世の高校生達は意外とフランクにお互いの性について話すのだろうか。 「善、時間あるし軽いのやってやれば?」  隣の友人にそう言われた善は、なんとも言えない表情で肩をすくめた。  具合が悪そうなSub(サブ)に対して、Dom(ドム)が応急処置的に軽いコマンドをかけてやることは、珍しいことではない。しかし、それはある種軽いではあるため、さして親しくもない間柄でやるには多少気恥ずかしいものがある。 「なんで俺が、やだよ」  そう言いながら、善は制服のズボンのポケットに手を突っ込んで片眉を上げた。 「仕方ないだろ、今ここにいるDomお前だけだし」 「やってやれよ」  両サイドの友人二人に肩をこづかれ、善はため息をつきながら渋々と言った様子で颯斗に向き直った。 「いえっ! あ、ぁ、あのっ、そうではなくて、そのっ……」  突然間近で善に見つめられ、颯斗の顔にはさらに熱がのぼり、喉の奥が緊張でギュッとしまっていく。  足の裏と手のひらと頭皮と背中に汗が滲んで、早くこの緊張から解放されたいと、本能的に後ずさった。  しかしそれに反して、逃げちゃダメだと心の声が颯斗を鼓舞している。  決めたのだ。そう、颯斗はこの日の目標を決めていた。それは…… 「お、おはっ、おはようございます! 大崎せんぱい!!」  ボリュームを完全に間違えた颯斗の声は、吹き抜けを通り、二階の廊下まで響き渡った。  

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