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2.あの、せんぱい(2)
周囲の生徒は一様に振り返り、正面にいる善たち三年生の三人は、眉を持ち上げ驚いている。
しばしの沈黙が続き、颯斗は恐る恐る顔を上げた。
「……ああ、うん、おはよう?」
呆然としながらも、善は颯斗に挨拶を返した。
「てか、なんで善だけ?」
「そうだよー、俺らは?」
両隣の二人がふざけた調子で颯斗に笑いかける。颯斗は、慌てて他の二人にも、「先輩、おはようございます」と深々と頭を下げた。
「え? それだけ?」
やり切ったと言わんばかりに胸に手を置き深く息を吐いた颯斗に、善がそう言いながら首を傾げた。
「は、は、はいぃっ! あのぅ、ご挨拶だけ、したくてですね……す、みません! 呼び止めてしまって」
そう言いながら颯斗は腰を曲げ、頭を下げて上向けた手のひらを差し出し、「どうぞ行ってください」と前方を示した。
善は首を傾げながらも廊下の先へ向き直り、友人達と共に歩き始める。
「アノちゃんおもしれー」
「じゃね! アノちゃん」
善以外の先輩二人は親しげに言うと、振り返り様に颯斗に手を振ってくれた。颯斗はもう一度、立ち去ろうとする三人の背中に頭を下げた。
しかし不意に真ん中の善の背中が立ち止まり、くるりとこちらを振り返ったので、颯斗は驚き背筋を伸ばした。どう言うわけか、善は友人二人をその場に残して、颯斗の元にツカツカと戻ってくる。
「お、大崎せんぱっ……?」
「つーか、お前! わかった!」
「えっ、なっ⁈」
気がつけば、善の姿が目の前で颯斗の顔を見下ろしていた。
『Kneel !』
善の口元がそう動いた瞬間、颯斗の膝は打ち砕かれたかのように崩れ落ち、むず痒い感覚が腰の辺りを駆け巡った。
へたりとその場に座り込み、颯斗は呆然と善を見上げている。善はその颯斗の顎を掴んで持ち上げ、顔を確認すると「やっぱり」と眉根を寄せた。
「お前、ストーカーくんじゃん! 髪型変わってるから気づかなかったわ!」
苛立ったような善の声が周囲に響き、その厳しく細めた目元が颯斗を睨みつける。
颯斗は自らの背中がゾクゾクとするのを感じ取り、鼻腔を膨らませ空気を吸い込んだ。
僅かながらのグレアによる恐怖と、コマンドによる服従の感覚が混ざり合っている。
「え? 善のストーカーくん? どれどれ?」
「うぉっ、マジだ! 髪型変えるだけでここまで雰囲気変わるもん?」
善の友人達も興味本位でこちらに歩み寄り、善に顎を持ち上げられたまま硬直している颯斗の顔を覗き込んだ。
「雰囲気は変わってないだろ、ストーカー感丸出しじゃねえか!」
容赦のない善の物言いに、友人二人は苦笑している。
「あ、あのっ、す、すみません、ほ、ほんとに、挨拶したかった、だけで」
颯斗はまたぱくぱくと口を動かし、どうにか喉奥から声を絞り出した。
本物のDomからコマンドを受けるのは、颯斗にとって初めてのことだった。
Subであると診断された際に模擬的にDomではない医師からコマンドを受けたことはあるが、今の状況はその時には感じなかった喩え用のない高揚感が体全体に込み上げてくる。
そのことに颯斗は動揺し、いつのまにか目元に涙が浮かんでいた。
泣き出しそうな颯斗の様子に気がついたのか、善は少しバツが悪そうに口元を結んで視線を逸らした。言いすぎたと思ったのかもしれない。
善は颯斗の顎を掴んでいた手を離し、それを軽く頭の上に乗せ、ほんの僅かに颯斗の髪を撫でた。
コマンドは無い。しかしその善の仕草だけで、Subである颯斗の内にあった欲求が、確かに満たされていった。
「いくぞ」
またぶっきらぼうに友人達に言うと、くるりと向きを変えた善は、そのまま颯斗に背を向けて廊下の向こうに行ってしまった。
一人その場に残された颯斗は床に座り込んだまま、立ち去る善の背中に恍惚とした表情を向けていた。
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