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10.せんぱいだって(2)

 入り口近くに立っていた颯斗はほとんど押し出されるかのように、ホームの上に降りたった。  最寄駅に善が迎えに来てくれると昨日連絡があった。  颯斗は体の前に下げていたコサッシュのポケットからスマートフォンを取り出して、善に連絡をしようと画面を上向けた。 「あっ……!」  肘に何かがぶつかり、その拍子に颯斗はスマホをとり落とした。スマホは地面の上を滑り、行き交う人の足元に消えていく。  ぶつかったらしき人の「すみません」と言う声が聞こえて、颯斗は「いえ、こちらこそっ!」と言葉を返す。  こんな人混みで立ち止まった自分がいけなかった。そう思いながら、体を屈めてスマートフォンを探す。  しかし、頭を下に下げた途端、急に視界がぐらついた。チカチカと星が飛ぶように点滅し、画角の端から暗くなっていく。  「やばい」と思った颯斗はそれ以上動くことをやめ、膝に手をついた。  周囲の人は怪訝な顔で颯斗を見下ろし通り過ぎていく。  どうにか倒れることは免れて、少し頭の霞が持ち直したところで、颯斗は視線を上げてスマホを探した。  皆改札を抜けたのか、少し人も少なくなっている。  地面を滑ったのかスマホは目線の先の柱の横に落ちていた。  颯斗が歩み寄り、拾い上げると画面の隅が少しひび割れてしまっている。  ため息をつきながら、颯斗はその部分を指で撫でた。画面をタップし確認する。善の連絡先も写真のデータも無事だ。壊れてはいない。  颯斗は顔を上げた。  やはりまだ視界がぐらつく。  善に連絡を取る前に少しトイレに寄って顔を洗おうと、颯斗はホームの階段を降りた。  女子トイレの行列を見た颯斗は一瞬青ざめたが、男子トイレは全く混み合っていないことに安堵する。  とりあえず中に入り、手洗い場に縋るようにたどり着くと、生ぬるい水で汗ばんだ手を洗った。  顔を上げる。  鏡に映る顔色は最悪だ。  鏡越しにこちらの様子を伺った中年の男と目があって、颯斗は慌てて視線を手元に戻した。  ザブザブと水を持ち上げ肘のあたりまで洗い、次に両手で掬って顔を洗った。首のあたりも濡らすと、Tシャツの襟元が濡れてしまった。  ハンカチを取り出して顔と首を拭う。  また視線を上げると、さっきの中年の男がまだ鏡越しにこちらを見ていることに気がついた。  トイレの中には他に人はおらず、男は誰かを待っていると言う様子ではない。  颯斗は恐る恐る振り返った。 「君、具合悪そうだけど、大丈夫?」  男は言った。  なんだ心配してくれてたのか、と颯斗は胸を撫で下ろした。 「あ、はいっ、だ、大丈夫です」  颯斗は愛想笑いを浮かべ、ハンカチをコサッシュにしまった。 「ほんとに? すごく顔色悪いよ?」  男が一歩距離を詰めた。やはり男の様子がおかしいと恐怖を感じ始め、颯斗はスマホを握りしめた。洗ったばかりの額に汗が滲む。 「あ、だ、だいじょ……」 「それ、Subの欲求不満症状なんじゃないかな?」 「えっ」  もう一歩距離を詰められ、颯斗は肩を丸めて一歩後ずさった。背後に洗面台が当たる。 「俺、Domだから、プレイしてあげよっか?」  男の瞳が欲望をはらんだように色づいて、颯斗は言葉が出ないままただ首を横に振った。  手にしていたスマホが震え、ディスプレイに善の名前が表示される。颯斗は慌てて通話表示に指を滑らせ、耳に当てた。 『改札前にいるけど、お前どこ? 着いた?』  善の声だ。  颯斗は男を警戒しつつ、受話器の向こうに話しかける。 「あ、あのっ、今、トイレで、駅の中の」 『ああ、じゃあ、外で待ってるから』 「はい、す、すぐ行きまっ」  そこまで行ったところで、颯斗の言葉が止まった。  

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