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14.余命だいたい八十年

               ◇  せんぱい  連絡してごめんなさい。  初めてのメッセージを送りますが、これで最後です。  あの時とても失礼なことを言ってしまって本当にすみませんでした。ただせんぱいと過ごせて嬉しかったと伝えたかったんです。  もうしつこくしません。  実は少しの間、休学することになりました。もう学校で出くわすこともないので安心してください。  それだけ伝えたくて連絡してしまいました。  受験、頑張ってください。影ながら応援しています。 「さよう……」  打ちかけて、颯斗は躊躇った。結局は送信ボタンを押さないままその文字を消した。 「颯斗、そろそろ出るよ?」  部屋のドアを開けて、母親が顔を覗かせた。颯斗はスマホの電源を切り、段ボールに仕舞い込んだ。  この頃は、秋と呼べるほど穏やかな気温になっていた。颯斗は紺色のシャツに薄手のカーディガンを羽織った服装で、手には着替えや参考書の入った大きな鞄を抱えた。  体の具合が芳しくない。治療方針を切り替えることになった颯斗は、それに伴い長期入院をすることになったのだ。  学校はもともと休みがちだったため、もはや進級するための出席日数が足りていない。  この際、気持ちを切り替えて休学することにして、今は治療に専念しようと母親と話し合って決めたのだ。  同時に、退院後もしばらくは自宅療養が必要になる颯斗のために、マンションを引き払って祖父母のいる都内の母親の実家に移り住むことになった。  病室には母が買ってくれたゲームのできるノートPCを持ち込んだ。スマートフォンはもう触らないと決めて引越しの荷物に入れてきた。手元にあれば、馬鹿みたいに善からの返事を期待してしまうし、多分いつまでも善の画像を眺めてしまう。  契約は料金がもったいないから解約してくれと言うと、母は最初拒んだが、「具合が良くなって学校に通えるようになったらまた……」というと、躊躇いながらも、納得したようだった。  そこから入退院を繰り返し、半年の月日が過ぎた。 「えっ、そ、それ……どう言うことですか⁈」  相変わらず窓がなくて、どこか空気の重かったいつもの診察室。それが主治医の一言で一変した。 「奇跡です、そうとしか言えません」  医者は興奮気味に呼吸を深め、こめかみを擦るようにズレた眼鏡を直しながら言った。  颯斗は確かめるかのように、傍の看護師に向けて顔を上げる。  まだ年若い看護師は颯斗に同情的でいつも親身に接してくれた。彼女は目元に涙を浮かべながら微笑み、ゆっくりと大きく頷いた。  隣に座った母親が、ついに堰を切ったように声を震わせ、颯斗の名を呼び顔を伏せた。 「あの、せ、せんせい」 「はい」  目を輝かせながら、医師は颯斗の質問を促した。  この室内で颯斗ただ一人だけが、未だ呆然とした表情を浮かべている。 「あの、えっと、俺……あと、どのくらい生きられますか?」  馬鹿みたいに、颯斗は尋ねた。 「五年間は再発のリスクが高い。だけど、それを過ぎれば……」  もったいぶりながら背筋を伸ばし、医師はゆっくりと息を吐いた。  表情は嬉々としていて、その勿体つけようはドラムロールでも聞こえてきそうだった。 「余命はだいたい八十年ってとこかな」  医師の冗談めかした物言いに、隣の母親が鼻を啜った。医師の手を握りしめると、「本当に、ありがとうございます」と繰り返し頭を下げている。  颯斗はまだ呆然と膝に手を置いたまま、医師のネームプレートのあたりをぼんやりと眺めた。  当然嬉しい、はずだ。だが、現実味がない。自分は死ぬのだと思っていた。  どうせ死ぬ。だからその前に勇気を振り絞って善に少しでも近づこうと思ったのだ。  残念ながら嫌われてしまった。でももし近づけて受け入れてもらっていたとしても意味がない。どうせ死ぬのだ。  だから嫌われて、もう話すこともできなくなってしまったけど後悔はない。  一瞬でも隣を歩けたことだけで満足だ。どうせ死ぬのだ、何もしないでいるより嫌われてでも善と関わることができて良かったのだ。  颯斗はそんなふうに、気持ちの整理をつけていた。それなのに……  どうやら颯斗はまだ、死なないらしい。

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