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15.七年後(3)

 颯斗は別人になった。  あの頃の自分とは違う。あまりにも変わりすぎて、たぶん善は自分には気がつかないだろうと颯斗は思っていた。むしろ高校の頃善に嫌われてしまった颯斗にとっては、気がつかれない方が都合がいい。 「え? なにこれ」  颯斗が差し出した紙袋を見て、善が眉を寄せた。 「フルーツゼリーです! 美味しいって話題の」  親しくない相手から手作りを貰うのを嫌がる人間が多いことを颯斗は学んだ。高校の時とは違うのだと、誰にでもなく心の中で呟いてみる。 「いや、そういう意味で聞いたんじゃなくて……まあ、いいや、入って」 「えっ?!」  手首を握られ、少し強引な力で颯斗は玄関の中に引っ張られた。  背後で玄関扉が閉まり、颯斗は戸惑っているが、善は一分一秒でも惜しいというように、構わず部屋の奥に入っていく。  颯斗はただ引っ越しの挨拶にきただけ(というテイ)だったのだが、何故だか初対面(と善は思っているはず)の自分を、善は部屋の中に招き入れた。  まさか颯斗に気がついたのかとも考えたが、どうやらそうでもない様子だ。 「なにしてんの、入って」 「えっ、あ、は、はい!」  帰ってきてすぐにシャワーを浴びたのか、善の髪は少しだけ濡れて見えた。  衣服は黒いボトムにラフなカットソーを着ている。部屋着だろうか。  室内に入りながら、颯斗はついつい善の姿を確認してしまう。 「なんか写真と雰囲気違うね」 「えっ?」  間接照明に観葉植物、黒を基調としたシックなコーディネート、なんだかいい匂いもしている。  同じ間取りのはずなのに家具のセンスだけでこうもオシャレな部屋になるのかと感心していた颯斗だったが、不可解な善の言葉に眉を寄せて顔を上げた。 「セーフワードは送ったやつでいいよな」 「えっ⁈ あ、えっと……」 「早くこっちきて」  部屋の隅でオロオロとしている颯斗の手を善が再び引っ張った。  連れてこられたのは奥のベッドルームで、気がついたら颯斗は促されるままにベッドの淵に腰を下ろしていた。 「いつまでそれ持ってんの」  颯斗を見下ろしながら前に立ち、善が指差したのは颯斗の手にしている紙袋だ。 「あ、あの、ゼリー、冷やします?」  他に聞くべきことはあるはずだが、颯斗の口から出たのはそんなどうでもいいことだった。  善は僅かに息を漏らすように笑うと、颯斗の手から紙袋を受け取り、ベッドの脇のサイドボードの下に置いた。 「悪いな、ちょっと余裕ないんだ」  そう言いながら、善は枕元に颯斗を追い詰めるかのように覆い被さった。   「あ、あのっ……えっと……」 「なんか、アンタ、昔の知り合いに似てんな」 「へっ」 「Strip(脱いで)」  そのコマンド(言葉)に、当然颯斗の心臓は跳ね上がった。  途端に視線を背けられなくなる。  直視した善の瞳はいつの間にか熱を灯し、瞳孔が情欲で揺れ動いていた。  間接照明の灯りだけでは定かではないが、目の下にクマができているようだ。Domの欲求不満からくるものかもしれない。  颯斗の右手が胸元に伸びて、きっちり上まで絞められたシャツのボタンをゆっくりと外していく。  善のコマンドだ。そう頭で反芻しただけで、颯斗の息は早くなり体の奥底がふつふつと欲情し始める。 「備考にも書いたけど」  ゆっくりと動作する颯斗がもどかしいのか、善はその手を伸ばし、下側から颯斗のシャツのボタンを外していく。 「ガチでやばいと思ったら遠慮なく殴って」 「えっ」  シャツのボタンが全てはずされ、襟口から中途半端に引き下ろされた。  善はもどかしげに颯斗が中に着ていたTシャツの裾を捲し上げながら、自らのカットソーの襟を掴んで頭を抜いた。  善の上半身が目の前で露わになり、颯斗は目を見開いてその隆起した筋肉を凝視した。 「早く脱げって」 「えっ、ちょっ、まっ!」  すっかり善の体に見惚れてしまっていた颯斗は、Tシャツの中に入り込んできた善の手に驚き身じろいだ。  熱い手のひらが腰の皮膚を滑り脇腹をたどって、衣服を脱がせようと背中まで伸びてくる。  状況が飲み込めない。  しかし、善が自分を誰かと勘違いしているのは明らかだった。  颯斗は善の動きを止めようと腕を掴むが、コマンドの効力が続いているのか、上手く抵抗しきれない。  胸部の突起を善の指先がいたずらに滑り、颯斗が小さく息を弾ませたその時だった。 --ピーンポーン  玄関チャイムが鳴って、二人同時に動きを止めた。  善は少し何か考えるような間を置いて、結局脱ぎ捨てていたカットソーを着直すと、やや気だるげに玄関の方へと歩いていく。  颯斗はその背中をただ呆然と見つめていた。

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