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17.絶対気づいてない(1)
◇
金曜日、駅前の居酒屋。
半個室で向かいに座った翔太がビールジョッキを片手に下唇を持ち上げた。彼がこの表情をする時はそこそこ酒が回っている。
「やっぱり、急に引っ越すからおかしいと思ったんだよ」
そう言って、翔太は手元のジョッキを傾け喉を鳴らした。
仕事帰りの颯斗はタイを占めてスーツを着ているが、翔太の職場は来客や会議がない日はラフな服装が許されているらしく、ロンTに薄手のジャケットを羽織って、下はチノパンを履いている。
「にしても、颯斗がガチのストーカーだったとはな。大学の頃から例のせんぱいに執着してるとは思ってたけど、隣の部屋借りるとか、怖すぎ」
「怖すぎ」と言いつつ焼き鳥をつまみながら、翔太はヘラヘラと笑っている。
「べ、べつにストーカーじゃ……ないよ、今時SNSとかである程度情報でてくるし、それを元にいろいろ調べれば……」
「いや、それネトストでしょ。てか、いくらなんでも家の場所まではSNSじゃわかんないんじゃない?」
颯斗はぐぅと押し黙った。
これ以上話すと、流石の翔太も引きそうだ。
実は善のSNSの写真や、友人たちとのコメントのやり取りを観察し、だいたいの行動範囲を把握したのだ。そしてよく使う駅や店で張り込んで、そこに現れた善の後をつけたというのが真実だ。
「家の場所は……いろいろあってたまたま知ったんだ」
颯斗はそう言葉を濁したが、翔太は納得していないのか眉を寄せて何とも言えない表情をしている。
「それにしてもさ、名乗ったんだろ? 流石に気付いてないってことはないんじゃないか?」
翔太には先日善の家で起こったことを大まかに説明した。
Subのデリバリーと間違えられたことと、軽くプレイをしたことは伏せているので、単純に挨拶をしただけだと翔太は思っている。
「それはない」
颯斗は首を振って翔太の言葉を否定した。
「え、なんで言い切れるの? だって高校の時それなりに交流あったんだろ?」
「うん……」
頷きながら、高校時代の光景を颯斗は思い浮かべた。
食堂や中庭、颯斗の家に見舞いにきてくれたこともあった。そして花火を見られなかった、あの夏の夜。
「じゃあ、いくらなんでも覚えてるでしょ。確かに写真とは雰囲気変わったけど、面影くらいはあるだろうし」
「いや、絶対気づいてない」
颯斗は断言した。
「なんで」と言いたげに、翔太は首を傾げる。
「俺だって気づいてたら、あんな風に笑ってくれるわけない」
あの夏の夜。
酷いことを言って、嫌われてしまった。そこで昔の颯斗と善の交友は断ち消えてしまったのだ。
「そーなの?」
「うん、だから、俺のこと気づいてないと思う」
もう一度断言して、颯斗は氷が溶けて薄まったウーロンハイのグラスを握った。汗をかいた表面が颯斗の手のひらを濡らしている。
「んで、隣に引っ越して、その後どうするつもりなの? まさか、毎朝ゴミ捨てで挨拶交わしてそれで満足ってわけじゃないっしょ?」
翔太の質問に、颯斗はグラスに視線を落としたまま、「うん」と神妙に頷いて見せた。
「仲良くなろうと思う」
「仲良くって、付き合うってこと?」
「い、いや、そこまで大それたことは……」
「あん?」
「まあ、そのぉ、ワンナイトでもいいから的な……」
颯斗が言うと、翔太は顎を持ち上げ声を出して笑った。
週末の居酒屋は客が多くて騒がしかったので、変に目立たなかったのは幸いだ。
「颯斗の口からワンナイトなんて言葉が出るとは」
指摘されて、颯斗は頬を赤らめた。
誤魔化すみたいに握っていたウーロンハイをごくりと一口飲み込んだ。
「てかさ、わざわざ隣にまで引っ越したのに、ワンナイトでおさまんの」
「えっ……じゃあ……二、三回?」
言うと、翔太はわざとらしく吹き出した。
「高校からだと……六年以上だろ? そんな積年の思いが、数回やっただけで昇華されるかね」
「でも、相手はせんぱいだよ……? それ以上はいくらなんでも高望みしすぎというか……」
もごもごと語尾を濁らせた颯斗の顔を、翔太がテーブルに肘を置いて覗き込んだ。若干目が座っているのは酒のせいだろう。
「颯斗……」
「え?」
「昔のお前は知らないけどな」
「う、うん……」
「今のお前に言い寄られたら、たぶんだいたいは落ちるぞ」
「えっ⁈」
「まあ、性趣向にもよるけど、俺の見立てだと相手がDomなら八割方いけるね」
何故か翔太は得意げだ。
「でも、翔太もDomじゃん」
「ん」
「落ちてないじゃん」
「まあ、俺ゲイじゃないしな」
もっともだ。それに、颯斗が翔太に言い寄ったこともない。
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