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18.せんぱいがでーとかも(1)
◇
その次の週末。
珍しく定時後二時間も残業をした颯斗が帰宅した時には、午後九時を過ぎていた。
玄関で靴を脱ぎ、ネクタイを緩めながら一週間の疲れを溜め込んだ体を、どさりとソファに投げ出した。
テーブルに無造作においたビニール袋の中には、途中で立ち寄ったスーパーで買った惣菜が入っている。
母親に知れたら今すぐにでも食事を作りに乗り込んできそうだ。そんなことを考えながら、颯斗は少し体勢を横向けて、ソファの背後の壁に耳を押し付けた。
この壁の向こうは善の部屋だ。
颯斗は部屋にいる間、暇さえあればこうして隣の様子を伺っている。そこまで薄い壁というわけではないが、テレビの音やなんとなく足音や気配が感じ取れるのだ。
帰宅しているのかどうかを確かめるつもりで颯斗は聞き耳を立てた。善は家にいるようだ。室内を歩く気配がある。
しかしその気配はすぐに玄関の方へと向かい、扉を開く音が鳴った。
颯斗はピクリと体を起こして、そのまま自室の玄関へと向かった。覗き穴から様子を伺うと、ちょうど善がドアの前を通ったところだった。
どこかへ出かけるようだ。一瞬しか見えなかったが、なんだかオシャレをしていた気がする。
--誰か他の奴に先越される前に、さっさと口説けよ
頭の中で翔太の声がした。
週末、おしゃれ、夜のお出かけ。
「で、デート?」
口に出したら一気に焦りが込み上げた。
颯斗はバタバタと室内に戻り、スーパーのビニール袋を冷蔵庫にそのまま押し込むと、また踵を返して玄関に向かう。
まだ着替える前だったのが幸いだ。
仕事終わりのスーツ姿のまま、颯斗が玄関扉を開くと、ちょうど善を乗せたらしきエレベーターが降りていくところだった。
颯斗は急いで階段を駆け降りた。
階段室からロビーに顔を覗かせると、ちょうど善がエントランスから外にでていく背中が見えた。
ストーカー上等。颯斗は一瞬も迷わず善の後を追った。
『今暇ー? エペやろー』
スーツの内ポケットに入れていたスマホが震え、翔太からの呑気なメッセージが表示された。
颯斗は善の背中を気に掛けつつ、ノールックで返信を送る。
『いまむりせんぱいがでーとかも』
『え、どゆこと』
速攻で翔太からの返信が滑り込んだ。
善は少し人通りの多い道に出ると、そのまま駅の方へと歩みを進めている。電車に乗るのかも知れない。
颯斗はひとまず、スマホを握りしめたまま数メートルの距離をあけながら後に続く。
予想した通り、善は駅にたどり着くと改札を通り、上り方面のホームに向かった。
颯斗も後に続く。滑り込んだ電車の隣の車両に乗り込んで、ドア越しに姿を確認しながら手元で翔太に返事を返した。
『今、あとつけてる』
『まじw ガチのストーカーじゃん』
『どこに行くのか確かめるだけ』
『それを人はストーカーというんだぞ』
じっとりとこちらを見つめるウサギのスタンプが送られてきた。
電車が駅で停車するたび、颯斗は隣の車両に目をやった。
善が降りたのは数駅隣のターミナル駅だ。多くの乗降者に紛れて、颯斗もホームへと降りた。
『S駅で降りた、繁華街のほう向かってる』
『どのへん』
『東口のカラ館過ぎたあたり』
『まじか!その辺ってたぶん…』
今度はウサギが口元に両手を当ててアワアワとしたスタンプが送られてきた。
颯斗は顔をあげた。
ここは大通りから少し裏手に入ったニッチな飲み屋街で、少し覗き込んだ路地の隙間になんだか雰囲気のあるバーやらスナックがいくつもネオン看板を出していた。
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