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第4話
確かスタジオはこっちの建物だよな。
伊織はキャンパス内をうろうろと散策し、スタジオのある建物を探す。モデルを使って人物写真を撮る実習のためだ。
人を撮ることが好きな伊織にとって楽しみにしていた講義だが、スタジオまで辿り着けるか怪しい。
こういう日に限って智美は風邪を引き、大学を休んでいる。さすがに病人に電話してまで訊くわけにもいかない。
六月の湿った空気は肌にまとわりついて気分が下がる。それにカメラの手入れもまめに行っていないとレンズがカビたり、本体が壊れる危険性もある。
高温多湿はカメラマンにとって油断できない季節だ。
雨に濡れないようカメラバックを胸に抱き、傘を前のめりに差した。
「航くんは次の講義はどこなの?」
不意に航の名前が聞こえ顔を上げると三、四人の女に囲まれている航の姿があり、どきりと心臓が跳ねる。
あの一件以来、航の姿はみかけていなかった。学年も学科も違うとなると滅多なことがない限り遭遇しない。早く謝って胸のモヤモヤを取り除きたかったが、本人に会えないまま半月が過ぎようとしていた。
これは千載一遇のチャンスではないか。
伊織は考えるよりも先に航たちの方へ足を向けた。
「この前は悪かった」
女たちの談笑が止み、いくつもの視線が伊織に刺さる。誰だこいつ、と言わんばかりの敵意ばかりだったが伊織は面倒なことを終わらせたくて必死だった。航の瞳が大きく開かれ、まじまじと伊織を見下ろす。
「それだけだから」
さっさとその場から離れると、胸につかえていたものが取れ風通りがよくなる。これでやっとすっきりできた。
謝らなきゃという気持ちが先走って、航の返事は聞かなかったが問題はないだろう。女と楽しくやっているときに水を差すような真似をしてしまったし、もしかしたら気分を害しているかもしれないが知ったことではない。
これで自分の失態は帳消しだ。
問題はスタジオに着くかどうかだ、と現実が押し寄せてくる。最悪その辺にいる人に訊くしかないが、雨が降っていることもあって誰もが足早に通り過ぎていく。
雨足がどんどん強くなっていき、比例するように気持ちも焦る。
「あの……」
雨音に消されそうな声に振り返ると、透明のビニール傘を差した航が立っていた。さっき謝ったばかりなのに、まだ文句があるのかと身構える。
航は視線を左右に彷徨わせて、落ち着きがないようだった。元々白い肌がさらに透明度を増したようにみえる。
「さっきからウロウロしているようですが」
蚊の鳴くような小さな声な上に視線は彷徨ってい、航の全身から緊張している空気がびしびしと伝わってくる。
訝しく思いながらも伊織は口を開いた。
「次の講義場所がわかんなくて」
「どこへ行きたいんですか?」
「七号館のスタジオだけど」
しどろもどろに返すと、航は伊織に背中を向けて歩き出してしまった。一体なにがしたかったんだ、と半ば呆然としていると数歩進んところで航が振り返る。ついてこいということだろうか。
藁にも縋りたい気持ちで伊織は急いで航の後を追った。
伊織がついてくると航はまた歩きだし、一つの建物に入った。階段を上り扉を開けると実習のグループの面々が機材を準備していた。
先に入った航を認めると全員が言葉を失う。
「もしかしてモデルって航なの?」
「でも先生は女って言ってなかったか」
「プロのモデルを撮れる機会なんて一生ないと思ってた!」
各々好き勝手なことを言っていたが、航は申し訳程度に頭を下げ、伊織に中に入るように促した。
「どうも」
「俺はこれで」
ぶっきらぼうな挨拶だけ残すと航は元来た道を戻ってしまった。伊織だけ残るとグループからの野次が飛ぶ。
「モデルって航じゃないわけ?」
「ここまで俺を連れてきてくれただけだ」
「モデルを使わせるとかさすが方向音痴!」
「うっせーな」
遠慮のない言葉を適当に返しながら伊織も準備に取りかかった。どうして航はここまで連れて来てくれたのだろう。だがあれこれ考えている時間はなく、グループの輪に混ざって機材の準備を手伝った。
準備が終わると教授が入ってきた。
「時間がないからさっさと実習に入ろうか。まずは五人のグループを四つ作って、一グループ十分でローテンションしていこう」
「モデルって誰がやるんですか?」
「実は予定していた子が急に来れなくなってね。いま適当に連れて来たんだ。きみ、入ってきてくれないか」
教授が声をかけると航が顔を出し、女たちの黄色い声があがった。帰ったはずの航が居心地悪そうに肩を小さくさせている。
「下で会ったから連れてきたんだ。よろしく頼むよ」
力一杯背中を叩かれ、勢いに負けて航は前につんのめっていた。
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