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第12話

 ベッドに座った航からシャンプーの香りが漂ってきて、肌が震えた。どうして、と思うより先に身体の内側が熱くなってくる。  「顔赤いですけど風邪引きましたか?」  航が伊織の顔を覗き込んできて、端正な顔が視界を埋め尽くす。なぜか体温がぐんぐん急上昇していく。  自分を心配してくれている純真な瞳は風呂上がりで濡れていて、妙に色気があるせいだろうか。  「のぼせただけだよ」  「シャワーだけで?」  「うっ……ちょっと熱めのお湯だったから」  「あまり無理しないでください」  会話が途絶えると窓を叩く雨足が部屋の中に響く。時折、雷鳴が轟き風がびゅうびゅうと吹いている。  あのまま外にいたらカメラは壊れてしまったかもしれない、とこんなときでもカメラの心配をしてしまう。  「この前はすいませんでした。自分のことばっかりで」  「俺も頭ごなしに言い過ぎた」  「いえ、俺が駄目なんです」  「またそうやって自分を卑下して、嫌にならない?」  「そうですね。すいません」  「……わりぃ。俺もきつく言い過ぎるの悪い癖なんだ」  「先輩が言ってることの方が正しいですよ」  「でも」  「俺が、弱いんです」  閉じられた目蓋は震え、泣いているのかとぎょっとしたが航の瞳は濡れていなかった。  「ゲイだと言われたんです」  なにかの聞き間違えかと目を丸くする。  「沢田さんってカメラマンがいるんですけど、その人になぜか気に入られて撮ってもらうことが多かったんです。元々彼はゲイだから、枕営業をしてると同業に吹聴されて」  そんなくだらないことを言いふらすれモデル業界にげんなりした。  「でもおまえはしてないだろ?」  「はい」  はっきりとした肯定に胸を撫でおろす。  「じゃあどうしてそんな噂が」  「ぽっと出の素人が表紙を飾るようになって、気に食わなかったんだと思います。俺もどうして自分がと戸惑うことが多くて、中傷をただ受け入れることしかできなかった」  レンズが人の目にみえると怯えていたのは、憎悪をたくさん向けられてきたからだ。大きな身体を小さくさせ、常に切り刻まれる痛みに耐えていたのだろう。  「反論すればよかったんだ」  「誰も聞いてくれませんでした。ゲイとレッテルを貼られ、笑顔をつくることができませんでした。だから俺は逃げたんです」  きれいな曲線を描いた頬に沿って涙が一筋伝った。声を荒げるでもなく、静かに泣く航の姿にどれだけ深い傷を負わされたのか伝わってくる。  気づけば航を抱き締めていた。  「やっぱり写展に出そう」  「でも、俺は……」  「写真ってのは被写体がいて初めて成立する作品だ」  航は口を閉じ、黙って聞いてくれている。  「おまえが中傷されたら、カメラマンとして俺も背負う。俺とおまえの作品だから、一人で背負わせない。絶対、絶対一人にはしない」  航はこんなところで埋もれていい人間ではない。世界中の人に認められ、いずれトップを走る男になる。  重鎮である沢田も航の才能を見抜いていたのだ。カメラマンの欲求を駆り立てる宝石を持っている航を。  容姿だけではない、繊細で内気な航もカメラに収めれば誰もが目を惹く。ちっぽけな嫉妬で航の将来を壊すわけにはいかない。  恐る恐るといった様子で航は顔をあげた。  涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔はとてもモデルとは思えない。けど、ここから化けるのだ。  「俺、根暗ですよ?」  「その腐った根性叩き上げてやるよ」  「……期待してます」  「で、どうするの?」  伊織が返答を求めると、航は初めて満面の笑みを浮かべた。  「よろしくお願いします」  それから慌ただしく写展の準備に取りかかり、次の月には出展することができた。  写真を引き延ばし、エントランスの正面という一 番いいポッディションで飾る権利もどうにか得られた。  写真科以外の学生が航の写真をみようと連日押し寄せて、大好評でだっ。  ーーそれを機に伊織の世界は変わった。

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